豊御食炊屋姫尊を新たな皇后へ

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敏達天皇(十)豊御食炊屋姫尊を新たな皇后へ

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原文

五年春三月己卯朔戊子、有司請立皇后、詔立豊御食炊屋姫尊、爲皇后。是生二男五女、其一曰菟道貝鮹皇女更名、菟道磯津貝皇女也、是嫁於東宮聖德、其二曰竹田皇子、其三曰小墾田皇女、是嫁於彦人大兄皇子、其四曰鸕鷀守皇女更名、輕守皇女、其五曰尾張皇子、其六曰田眼皇女、是嫁於息長足日廣額天皇、其七曰櫻井弓張皇女。

現代語訳

即位5年春3月10日。有司(ツカサ=役人)は皇后を立てるように請願しました。詔(ミコトノリ)して豊御食炊屋姫尊(トヨミケカシキヤヒメノミコト=後の推古天皇)を立てて皇后としました。2人の男(ヒコミコ)と5人の女(ヒメミコ)を生みました。一人目が菟道貝鮹皇女(ウジノカイダコノヒメミコ)…
別名を菟道磯津貝皇女(ウジノシツカイノヒメミコ)といいます

東宮聖德(ヒツギノミコショウトク)に嫁ぎました。

二人目は竹田皇子(タケダノミコ)といいます。三人目は小墾田皇女(オハリダノヒメミコ)…これは彦人大兄皇子(ヒコヒトノオオエノミコ)に嫁ぎました。四人目は鸕鷀守皇女(ウモリノヒメミコ)といいます。
別名を軽守皇女(カルノモリノヒメミコ)といいます。

五人目は尾張皇子(オワリノミコ)、六人目は田眼皇女(タメノヒメミコ)…これは息長足日広額天皇(オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト=舒明天皇)に嫁ぎました。七人目は桜井弓張皇女(サクライノユミハリノヒメミコ)といいます。
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解説

豊御食炊屋姫尊
後の推古天皇の母は蘇我堅塩媛、父は欽明天皇です。ということは夫である敏達天皇も父が欽明天皇ですから、腹違いの兄と妹ということになります。
ちなみに敏達天皇の母は石姫皇女。

敏達天皇の最初の皇后は広姫で、父親は息長真手王という人物。この息長真手王はほとんど名前が出てこないので、出自は曖昧です。それに比べて、推古天皇は父親が天皇ですから、出自がしっかりしている。

歴代天皇の皇后はほとんど「皇女」…つまり「天皇の血筋」です。個人的には天皇の権力の根本は皇后にあったんじゃないかと思います。皇后に神が宿る。天皇はその儀式を行う。そういうのがそもそもだった。だから血筋の強い、つまり霊威のある推古天皇を皇后に据えた。
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