日祀部と私部・日本の使と朝鮮の宰

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敏達天皇(十一)日祀部と私部・日本の使と朝鮮の宰

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原文

六年春二月甲辰朔、詔置日祀部・私部。夏五月癸酉朔丁丑、遣大別王與小黑吉士、宰於百濟国。王人奉命爲使三韓、自稱爲宰。言宰於韓、蓋古之典乎。如今言使也、餘皆傚此。大別王、未詳所出也。

現代語訳

即位6年春2月1日。詔(ミコトノリ)して日祀部(ヒノマツリベ=日奉部=太陽信仰に関わる部民とされるがハッキリしない)・私部(キサイチベ)を設置しました。

夏5月5日に大別王(オオワケノオオキミ)と小黒吉士(オグロノキシ)を派遣して、百済国の宰(ミコトモチ=宰相)としました。
王の使用人というものは命令を受け賜って、三韓(ミツノカラクニ)の使者となると、自称して宰(ミコトモチ)だと名乗る。韓(カラクニ)で宰になるというのは、古くからの話か。今では使(ミツカイ=使者)という。今後は、皆、これに習え。大別王の出自は分からない。
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解説

日祀部
太陽信仰の部民ではないかとも言われます。ただ、正直、今更感があるんですよね。
私部
訓読みが「キサイチベ」になっていて、これがどうやら「皇后の部民」という意味で「キサキツベ」が鈍って「キサイチベ」になったのではないか?と言われます。というのも、中国の歴史書には皇后の世話をする部民を「私部」と書いているのですよね。でも、これまでに皇后の名代部はあったのですから、今更ここで「私部」を登場させるのも変。

だから、これは単に「地方の氏族の個人的な部民」かもしれない。ただ、そうなると「私」があるということは「公的」という考えがあったということになって、ちょっと変。まぁ、ここいらへんは前後の文章もありませんし、考えても結論の出そうにないことかと思います。
宰相について
ここの訳文は分かりにくいので、ちょっと追加で。
日本は大別王と小黒吉士を派遣しました。これは「使者」として送ったのですね。それでこの二人は朝鮮半島に行くと
「俺は宰相だ!」
と自称した。これがどういうことかというと、日本の使者は朝鮮半島では「宰相」と名乗るのが、習わしだったってことです。それで「宰相」と書いたけど、現在(日本書紀編さん時)では「宰相じゃなくて使者」だから、これからは使者って書くからねー!
と書いてある。

これが何を意味するのか?
ここの文章は初期に書いたのではないか?
日本書紀にはさんざん、「愛する人」という意味で「妹」という文字を使ってきたのに、突然、「妹ってのは愛する人って意味もあるんだよ。これって日本の古くからの風習なんだよね」と書いてあるんです。

つまり雄略天皇のところから、日本書紀は書き始めた、ってことです。

で、この「使者は宰相と名乗った」
という記述も、いままで散々、朝鮮半島へは使者を送っているわけで、今更「使者=宰相」と殊更に書くということは妙。
ということは、日本書紀編さん担当者の一人はこの敏達天皇から書き始めたという意味でしょう。

おそらく、ネタ元というべきか、資料が雄略天皇の前後と、敏達天皇の前後で「何か違った」のでしょう。だから担当者が違った。それがこの記述の原因じゃないかと思います。
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