火葦北國造阿利斯登の子の日羅を呼び寄せる

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敏達天皇(十六)火葦北国造阿利斯登の子の日羅を呼び寄せる

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原文

十二年秋七月丁酉朔、詔曰「屬我先考天皇之世、新羅滅內官家之国。天国排開廣庭天皇廿三年、任那爲新羅所滅、故云新羅滅我內官家也。先考天皇謀復任那、不果而崩、不成其志。是以、朕當奉助神謀復興任那。今在百濟、火葦北国造阿利斯登子達率日羅、賢而有勇。故、朕欲與其人相計。」乃遣紀国造押勝與吉備海部直羽嶋、喚於百濟。冬十月、紀国造押勝等還自百濟、復命於朝曰「百濟国主、奉惜日羅、不肯聽上。」

現代語訳

即位12年秋7月1日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「わたしの前の天皇(=欽明天皇)の世に新羅は内官家(ウチツミヤケ=直轄地=ここでは任那のこと)の国を滅ぼした。
天国排開廣庭天皇(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコト=欽明天皇)の即位23年に任那は新羅のために滅ぼされました。それで新羅が我が内官家を滅ぼしたと言ったのです。

前の天皇は任那を復興したいと謀っていました。果たせずに崩御して、その志を成すことができなかった。それで朕(ワレ)は、神のように不思議な妖しい謀略で助けて、任那を復興しようと思う。今、百済に居る、火葦北国造阿利斯登(ヒノアシキタノクニノミヤツコアリシト)の子の達率日羅(ダチソチニチラ)は賢くて勇猛だ。朕はその人と計画を立てようと思っている」
すぐに紀国造押勝(キニクニノミヤツコオシカツ)と吉備海部直羽嶋(キビノアマノアタイハシマ)を派遣して百済に呼び寄せました。

冬10月。紀国造押勝たちは百済から帰ってきました。朝廷に報告をして言いました。
「百済国の主(ニリム)は日羅(ニチラ)を惜しんで聞き入れず聞き入れず、献上を認めませんでした」
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解説

新羅を征伐する人材を百済に送っている「日羅」に頼ろうとしたら、百済の王に「いや」って断られました。これって百済も使者というべきか、日本に人材を送っていたけども、日本も百済に人材を送っていた、ということになります。しかも、人材の登用の主権はその人材が所在した国にあるわけです。このあたりは、日本に送った百済の人材を帰して欲しいときに、百済が請願していることから、まぁ「人材を送り合っていた」と考えたほうが良いでしょうね。

つまり、百済と日本は「どっちが上」という関係じゃなかった…のかもしれません。ただ、人材を送るということが、「服従の証」なのか「中央から地方へと役人を派遣する、という意味で人材を送った側が上という証」なのかもしれない、と考えると「日本と百済は対等」という考えも、まぁ、なんともハッキリしないなぁと思うのです。
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