鹿深臣の弥勒の石像と佐伯連の仏像

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敏達天皇(二十四)鹿深臣の弥勒の石像と佐伯連の仏像

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原文

十三年春二月癸巳朔庚子、遣難波吉士木蓮子使於新羅、遂之任那。秋九月、從百濟來鹿深臣(闕名字)、有彌勒石像一軀、佐伯連闕名字、有佛像一軀。

現代語訳

即位13年春2月8日。難波吉士木蓮子(ナニワノキシイタビ)を新羅に使者として派遣しました。ついに任那に行きました。

秋9月百済から来た鹿深臣(カフカノオミ)…
名前が漏れていて分かりません。

弥勒(ミロク)の石象を一体有りました。
佐伯連(サエキノムラジ)…
名前が漏れていて分かりません。

仏像を一体有りました。
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解説

敏達天皇即位4年4月に吉士木蓮子が任那に使者として行っています。その後、帰って来た記述は無いんですが、帰って来ていたんでしょうね。この年に、新羅に行き、任那にも行っています。
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