司馬達等が得た仏舎利

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敏達天皇(二十六)司馬達等が得た仏舎利

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原文

馬子獨依佛法、崇敬三尼。乃以三尼付氷田直與達等、令供衣食經營佛殿於宅東方、安置彌勒石像、屈請三尼大會設齋。此時、達等得佛舍利於齋食上、卽以舍利獻於馬子宿禰。馬子宿禰、試以舍利置鐵質中振鐵鎚打、其質與鎚悉被摧壤、而舍利不可摧毀。又投舍利於水、舍利隨心所願浮沈於水。由是、馬子宿禰・池邊氷田・司馬達等、深信佛法、修行不懈。馬子宿禰、亦於石川宅修治佛殿。佛法之初、自茲而作。

現代語訳

蘇我馬子(ソガノウマコ)は仏法(ホトケノミノリ)に頼り、3人の尼を崇め敬いました。その3人の尼を氷田直(ヒタノアタイ)と達等(ダチト)に授けて、衣食を供えさせました。仏殿(ホトケノオオトノ)を宅の東の方に作って、弥勒の石像を安置させました。3人の尼に屈して請願し、大会(ダイエ)で設斎(オガミ=拝み)しました。このとき、達等は仏舎利(=ブッダの遺骨)を斎食(イモイ=備える食物のお椀)の上に得ました。すぐに舎利を馬子宿禰に献上しました。馬子宿禰は試しに舎利を、鉄(クロガネ)の質(アテ=鉄を叩いて鍛えるための台)に置いて、鉄の槌を振り上げて打ちました。その質(アテ)と槌は全て砕けて壊れました。しかも舎利は砕けず壊れませんでした。また、舎利を水に投げ入れました。舎利は心の所願(ネガイ)のままに、水に浮かんだり沈んだりしました。それで馬子宿禰(ウマコノスクネ)・池辺氷田(イケヘノヒタ)・司馬達等(シメダチト)は仏法を深く信じて、修行を怠りませんでした。馬子宿禰は石川の宅を仏殿(ホトケノオオトノ)を修繕しました。仏法の始まりはこれです。
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解説

仏舎利
仏教では「霊」の概念がありません。人は死ぬと49日経つと別の生き物に生まれ変わるので、骨はただの骨で「抜け殻」です。だから、普通の人の骨には全然意味がありません。ちなみに、現在、日本人が墓を持ち、供養をするのは神道の「霊」を、儒教の手法(葬儀)で鎮魂しているだけです。

ところが仏陀の骨は例外で、仏陀の骨だけは敬い、大事に扱います。この仏陀の骨が「仏舎利」です。お寺に仏舎利塔があるのは、そこに「仏舎利」…仏陀の骨がある、とされています。

ただ、時代を経ると仏舎利は特別視・神聖視が進んで、仏舎利は宝石だったり、どんどん増殖したり、叩いても燃やしても破損しなかったり、設定がおかしくなっていきます。

だから蘇我馬子は仏舎利を叩いたり、水に投げ入れたりして「仏舎利」であることを確認したわけです。まぁ、尼に備えた食べ物のお椀に仏舎利が現れただけで、もう、凄いというか、信じられないというか、変なんですけどね。
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