物部守屋は塔を壊し仏像を焼く

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敏達天皇(二十八)物部守屋は塔を壊し仏像を焼く

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現代語訳

(即位14年)3月1日。物部弓削守屋大連(モノノベノユゲノモリヤオオムラジ)と中臣勝海大夫(ナカトミノカツミノマヘツキミ)は申し上げて言いました。
「どうしてですか!
わたしめどもの言葉を用いて肯定しないのですか。孝天皇(カゾノミカド=父天皇=欽明天皇)から、陛下(キミ=敏達天皇)まで、疾病が流行して、国の民が絶命しました。どうして、蘇我臣が仏法を興行したためではないというのでしょうか!」
詔(ミコトノリ)して言いました。
「灼然(イヤチコ=明らか)ならば、仏法は止めよ」

3月30日に物部弓削守屋大連は自ら寺に詣でて、胡床(アグラ=床几=折りたたみ椅子)に座っていました。その塔を切り倒して、火をつけて焼きました。一緒に仏像と仏殿を焼きました。焼いたところの焼け残った仏像を取り、難波の堀江(ホリエ)に捨てました。この日に雲は無く、風が吹いて、雨が降りました。
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性格・能力

蘇我稲目も仏像を崇めたのですが、疫病が起きて、寺を壊し、仏像を捨てました。その捨てた場所が「難波の堀江」でした。

物部守屋は古来の神を祀る氏族です。物部の「モノ」は「もののけ」の「モノ」です。日本は「物体」の「モノ」と、「もののけ」の「モノ」が同じ意味です。というのも、日本人は「形あるものは全て、魂を持つ」と考えているからです。

だから、物部は「モノ(霊・魂)」の氏族ですが、「武器」という「モノ」の氏族でもあります。
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原文

三月丁巳朔、物部弓削守屋大連與中臣勝海大夫、奏曰「何故不肯用臣言。自考天皇及於陛下、疫疾流行、國民可絶。豈非專由蘇我臣之興行佛法歟。」詔曰「灼然、宜斷佛法。」丙戌、物部弓削守屋大連自詣於寺、踞坐胡床、斫倒其塔、縱火燔之、幷燒佛像與佛殿。既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。
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