馬子は穴穂部皇子を諌める・王たる者は刑人に近づけません

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用明天皇(六)馬子は穴穂部皇子を諌める・王たる者は刑人に近づけません

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原文

蘇我馬子宿禰、外聞斯計、詣皇子所、卽逢門底。(謂皇子家門也)。將之大連所、時諫曰「王者、不近刑人。不可自往。」皇子不聽而行。馬子宿禰卽便隨去、到於磐余行至於池邊而切諫之。皇子乃從諫止、仍於此處踞坐胡床、待大連焉。大連、良久而至、率衆報命曰、斬逆等訖。(或本云、穴穗部皇子、自行射殺。)於是、馬子宿禰惻然頽歎曰、天下之亂不久矣。大連聞而答曰、汝小臣之所不識也。(此三輪君逆者、譯語田天皇之所寵愛、悉委內外之事焉。由是炊屋姫皇后與馬子宿禰、倶發恨於穴穗部皇子。)是年也、太歲丙午。
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現代語訳

蘇我馬子宿禰(ソガノウマコノスクネ)は外でこの計画を聞いて、皇子の元に詣でて、門底(カドモト=門の底石)で会いました。
皇子の家の門を言います。

大連のところに行こうとしていました。その時に諌めて言いました。
「王たる者は刑人(ツミビト)に近づけません。自ら行ってはいけません」
皇子は聞き入れずに行きました。馬子宿禰は随行して磐余に到着して…
行って池辺(イケノヘ)に到着しました。

切実に諌めました。皇子は諌める言葉に従って止めました。それでこの場所で胡床(アグラ=折りたたみの簡易の椅子)に座って大連を待ちました。大連は、すこし時間が経ってから到着しました。衆(イクサ=兵士の集団)を率いて報告して言いました。
「逆(サカフ)たちを斬り殺し終えました」
ある本によると穴穂部皇子は自ら行って射殺したといいます。

それで馬子宿禰は痛み嘆いて言いました。
「天下の乱れは、遠くない!」
大連(=物部守屋)はそれを聞いて答えて言いました。
「お前のような小臣(コマヘツキミ)が知ったことではない」
この三輪君逆(ミワノキミサカフ)は訳語田天皇(オサタノスメラミコト=敏達天皇)が寵愛した。内外の事のすべてを委ねたほどです。それで炊屋姫皇后(カシキヤヒメノキサキ=敏達天皇の皇后=推古天皇)と馬子宿禰は共に穴穂部皇子を恨みました。

この年、太歲丙午でした。
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解説

馬子が止めた理由
天皇は穢れてはいけません。天皇の訓読みの「スメラミコト」のスメラとは「清らか」という意味です。つまり穴穂部皇子も穢れれば天皇にはなれない。だから、罪の穢れ・死の穢れに関わらないように蘇我馬子は進言したのでしょう。

進言したといっても、穴穂部皇子のために進言したのではなく、穴穂部皇子にクーデターや暗殺をさせないための理由付けとして、「穢れ」という概念を持ち出したに過ぎません。そもそも蘇我馬子は仏教を奉じているはずです。仏教には穢れという概念がないのです。穢れという概念がないから、動物の屍体から取った毛皮を材料にした「筆」を使い、死穢を恐れない「兵隊」を集めることができるのです。

やはり、穴穂部皇子と物部守屋の目的は「用明天皇の暗殺=クーデター」だったのではないかと思います。蘇我馬子から見れば、用明天皇は甥っ子。用明天皇は仏教を重視した初めての天皇。このまま行けば蘇我馬子の天下になる。この時点ではまだ物部守屋などの旧体制派が優位だったでしょうが、皇子はほとんど蘇我氏の血筋です。将来が厳しいのは想像に難くない。ここで物部守屋はひっくり返したかった。

蘇我馬子はこのクーデターを「三輪君逆」の誅殺で収めました。本来は用明天皇が殺されるところを、その程度に収めた。無論、穴穂部皇子は何らお咎め無しですから、問題の先送り感はありますが、それがその当時の蘇我馬子の「勢力の限界」だったのでしょう。
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