南淵の坂田寺の木の丈六仏像と狭寺の菩薩・崩御

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用明天皇(九)南淵の坂田寺の木の丈六仏像と狭寺の菩薩・崩御

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現代語訳

用明天皇の瘡(ミヤマイ=病気)はいよいよ酷くなりました。亡くなろうかというときに、鞍部多須奈(クラツクリノタスナ)
司馬達等(シメダチト)の子です。

進み出て申し上げました。
「わたしめは天皇のために、出家して修道します。また丈六仏像(ジョウロクノホトケノミカタ)と寺を作り、奉りましょう」
天皇のために悲しみ嘆いて大きな声で泣きました。今、南淵(ミナブチ)の坂田寺の木の丈六仏像・狭寺の菩薩はこれです。

9日。天皇は大殿で崩御しました。

(即位2年)秋7月21日。磐余池上陵(イワレノイケノヘノミサザキ)に葬りました。
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解説

用明天皇は即位2年で病気のために崩御しました。用明天皇の病気のことを瘡と書いているのですが、敏達天皇の時代に仏像の祟りで発生した疫病も瘡と書いてあり、同じ病気だったと思われます。天然痘だったんじゃないかとも。

しかし、このところの騒乱ってのが用明天皇の病気の間に為されていたとなると、なんかね。というか、天皇になってすぐに発症したんじゃないかと。それで即位直後から、後継者で揉めた?ということも考えられます。
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原文

天皇之瘡轉盛、將欲終時、鞍部多須奈(司馬達等子也)進而奏曰「臣、奉爲天皇、出家修道。又奉造丈六佛像及寺。」天皇爲之悲慟。今南淵坂田寺木丈六佛像・挾侍菩薩、是也。癸丑、天皇崩于大殿。秋七月甲戌朔甲午、葬于磐余池上陵。
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