大臣の妻は大連の妹・四天王寺と法興寺

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崇峻天皇(六)大臣の妻は大連の妹・四天王寺と法興寺

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原文

爰有迹見首赤檮、射墮大連於枝下而誅大連幷其子等。由是、大連之軍忽然自敗、合軍悉被皁衣、馳獵廣瀬勾原而散之。是役、大連兒息與眷屬、或有逃匿葦原改姓換名者、或有逃亡不知所向者。時人相謂曰「蘇我大臣之妻、是物部守屋大連之妹也。大臣妄用妻計而殺大連矣。」平亂之後、於攝津国造四天王寺。分大連奴半與宅、爲大寺奴田庄。以田一萬頃、賜迹見首赤檮。蘇我大臣、亦依本願、於飛鳥地起法興寺。

現代語訳

迹見首赤檮(トミノオビトイチイ)が居て、大連を枝の下に射落として、大連とその子たちを誅殺しました。それによって大連の軍(イクサ)はたちまち自然と敗走しました。軍はすべて皁衣(クロキヌ=黒い服=奴隷の服)を被っていて広瀬(ヒロセ=大和国広瀬郡下勾郷)の勾原(マガリノハラ)に馳猟(カリスルマネ)して散っていきました。この役(エダチ=戦乱)で大連の児息(コ=子)と眷属(ヤカラ=一族)と、あるものは葦原(アシハラ=地名か、単に葦の原っぱという名詞かは不明)に逃げ隠れて、姓を改め、名を変えるものも有りました。あるものは、逃亡してどこに行ったか分からないものもありました。その時代の人は言いました。
「蘇我大臣の妻は、物部守屋大連の妹だ。大臣はおそらく妻の計画を用いて大連を殺した」
乱を平定した後、摂津国(ツノクニ)に四天王寺を作りました。大連の奴隷の半分と宅(イエ)を分けて、大寺の奴隷と田荘(タドコロ=士族の私有地)としました。田一万頃(タヨロヅシロ)を迹見首赤檮(トミノオビトイチイ)に与えました。蘇我大臣は本願のままに飛鳥の土地に法興寺(ホウコウジ)を立てました。
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解説

蘇我大臣の妻は、物部守屋大連の妹だ。大臣はおそらく妻の計画を用いて大連を殺した
これってどういう意味なんだか。『紀氏家牒』・『石上振神宮略抄』神主布留宿禰系譜料では物部守屋妹の「太媛」とあり、『先代旧事本紀』天孫本紀では物部鎌足姫大刀自(父は物部守屋の異母弟石上贄古大連、母は物部守屋同母妹の布都姫)とあることから、実際に守屋の妹だったかはともかくとして、物部一族の誰かが、蘇我氏の妻だったらしい。
物部の女
妻は有名な策略家だった…かもしれないのですが、ま、違うでしょう。現在の日本は儒教の影響を受けて多少は男尊女卑ですが、古代の日本は女性を神聖視していて、「女には魔力がある」と思っていました。まして、物部氏は古来からの「モノ(霊)」の家系。この物部の女が裏で糸を引いていた…と考えるのは当時としては「アリ」だったんじゃないでしょうか。
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