任那再建へ・筑紫へ派兵

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崇峻天皇(十五)任那再建へ・筑紫へ派兵

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現代語訳

即位4年夏4月13日。訳語田天皇(オサタノスメラミコト=敏達天皇)を磯長陵(シキナガノミサザキ)に葬りました。その妣皇后(イロハノキサキ=亡き母=欽明天皇の皇后の石姫皇女)が葬られた陵(ミハカ)です。

秋8月1日。天皇は群臣に詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)。任那を再建しようと思う。卿等(イマシタチ=お前たち)はどう思うか?」
群臣は申し上げて言いました。
「任那の官家(ミヤケ)を再建するべきことは皆、陛下が詔(ミコトノリ)した通りです」

冬11月4日。紀男麻呂宿禰(キノオマロノスクネ)・巨勢猿臣(コセノサルノオミ)・大伴囓連(オオトモノクイノムラジ)・葛城烏奈良臣(カヅラキノオナラノオミ)を遣わして大将軍(オオイクサノキミ)としました。氏氏(ウジウジ=氏それぞれが)の臣連を率いて裨将(ツギノイクサノキミ=副将)・部隊(タムロノオサ=部隊長)として2万の軍を率いて筑紫に出て行きました。吉士金(キシノカネ=人名)を新羅に派遣し、吉士木蓮子(キシノイタビ)を任那に派遣して任那のことを問わせました。
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解説

日本に戒律を学んだ尼が帰って来て、出家した僧・尼も揃い、寺が出来、仏舎利もある。日本に仏教を信仰しているという要素が揃いました。神道は穢れを嫌い、死穢を嫌ったから、軍隊を嫌った。だから戦争が満足にできなかった。今までは蝦夷などで、その不足を補っていたけども、朝鮮半島という厄介な異文化を相手にするには、全く足りない。そこで仏教です。

仏教には穢れという概念がない。だから死穢を恐れない兵隊を構築できる。となれば、任那を再建するために軍隊を派遣することも可能。

さぁ、戦争を始めようじゃないか。
ま、失敗するんですけどね。
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原文

四年夏四月壬子朔甲子、葬譯語田天皇於磯長陵、是其妣皇后所葬之陵也。秋八月庚戌朔、天皇詔群臣曰「朕思欲建任那、卿等何如。」群臣奏言「可建任那官家、皆同陛下所詔。」冬十一月己卯朔壬午、差紀男麻呂宿禰・巨勢猿臣・大伴囓連・葛城烏奈良臣、爲大將軍。率氏々臣連、爲裨將部隊、領二萬餘軍、出居筑紫。遣吉士金於新羅、遣吉士木蓮子於任那、問任那事。
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