建日方別

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建日方別

漢字・読みタケヒカタワケ
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概要

まとめ
●吉備児島の別名。
●島を神と見立てての名前。
吉備臣建日子御鉏友耳建日子(吉備の祖先)・稚武彦命(吉備の始祖)と「タケヒコ」という名前を持った人物が吉備には多い。これは「建日方別」から統治を任された人物という意味と思われる。

物語・由来

建日方別はイザナギイザナミが生んだ島の一つの吉備児島の別名。現在は半島になっていますが、古代では島で、この島と陸地の間を干拓して「半島」にしてしまった。この干拓が始まったのが奈良時代(8世紀)というのだから、すごい。ちなみに古事記の編纂は8世紀(712年とされる)。

日本人は島を神そのものだと考えていたから、神の名前が別名でついているのは不思議じゃないです。

調べてみると、吉備の氏族に「タケヒコ」が出てきます。
東国12カ国へ
吉備臣の祖先の御鉏友耳建日子(ミスキトモミミタケヒコ)をヤマトタケルに付けて派遣しました。

ヤマトタケルの子孫・系譜
吉備臣建日子(キビノオミタケヒコ)の妹の大吉備建比売(オオキビタケヒメ)を娶って生んだ子が建貝児王(タケカイコ)です。

孝霊天皇(日本書紀)
また別の妃が(上記の皇子と妃の)弟として、生彦狹嶋命(ヒコサシマノミコト)と稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)を生みました。稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)は吉備臣(キビノオミ)の始祖(ハジメノオヤ)です。

景行天皇(三十)斧鉞を承り再拝し…
天皇は吉備武彦(キビノタケヒコ)と大伴武日連(オオトモノタケヒノムラジ)に命じて、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に従わせました。

タケヒコという名前は「建日方別」の子であるという意味があるのでしょう。天から統治を任された人物を「天子」と言うのと同じです。
建日別について
非常によく似た神の名に「建日別」があります。これは筑紫島(九州)が持つ四つの顔の一つです。建日方別はそもそも九州から来た神「建日別」の分身…という可能性はある、と思います。何せ、神武天皇だって九州出身で、本名が「神倭伊波礼毘古」で「日子」が付いています。九州の太陽信仰をそのまま引き継いだから、「ヒコ」が付いている…まぁ、ちょっと飛躍してますね。太陽信仰なんて農業している以上はどこの地域でもあるわけですからね。
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引用

細かい島を産む
大八島を生んで帰る途中で吉備児島(キビコジマ)を生みました。
これは建日方別(タケヒカタワケ)といいます。
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