推古天皇(一)出自と即位の経緯

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推古天皇(一)出自と即位の経緯

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現代語訳

豊御食炊屋姫天皇(トヨミケカシキヤヒメノスメラミコト=推古天皇)は天国排開広庭天皇(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコト=欽明天皇)の中女(ナカツミコ=?)です。橘豊日天皇(タチバナトヨヒノスメラミコト=用明天皇)の同母妹です。幼い時は額田部皇女と言いました。姿や顔は端正で綺麗で、年齢が18歳に成ると、渟中倉太玉敷天皇(ヌナクラノフトタマシキノスメラミコト=敏達天皇)の皇后と成りました。34歳で渟中倉太玉敷天皇(=敏達天皇)が崩御しました。39歳の時、泊瀬部天皇(ハツセベノスメラミコト=崇峻天皇)即位5年11月に崇峻天皇は大臣の蘇我馬子に殺されました。

嗣位(ミツギノクライ=後継の事、ここでは天皇位の事)が空位になりました。群臣たちは、渟中倉太珠敷天皇(=敏達天皇)の皇后である額田部皇女(ヌカタベノヒメミコ)に請願して、天皇位につかせようとしました。皇后は、辞退しました。百僚(ツカサツカサ=官僚・役人)は表(モウシブミ=意見を出す文)を献上して、即位を進めました。三回行って、ついに従いました。それで天皇の璽印(ミシルシ)を献上しました。
冬12月8日に皇后は豊浦宮(トユラノミヤ=現在の奈良県高市郡明日香村豊浦)で天皇に即位しました。
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解説

推古天皇が即位するまでを説明しています。
文章では推古天皇は大臣や官僚に請願されてとなっていますが、実際のところは分かりません。嘘だという意味ではなく、「分からない」ってことです。自発的になったんじゃなくて、臣下に請願されてなったというのが、儒教ではパターンです。
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原文

豐御食炊屋姬天皇、天國排開廣庭天皇中女也、橘豐日天皇同母妹也。幼曰額田部皇女、姿色端麗、進止軌制。年十八歲、立爲渟中倉太玉敷天皇之皇后。卅四歲、渟中倉太珠敷天皇崩。卅九歲、當于泊瀬部天皇五年十一月、天皇爲大臣馬子宿禰見殺。

嗣位既空、群臣請渟中倉太珠敷天皇之皇后額田部皇女、以將令踐祚。皇后辭讓之。百寮上表勸進至于三、乃從之、因以奉天皇璽印。冬十二月壬申朔己卯、皇后卽天皇位於豐浦宮。
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