善徳臣を寺司に・鵲と孔雀と白鹿の献上

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推古天皇(七)善徳臣を寺司に・鵲と孔雀と白鹿の献上

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現代語訳

即位4年冬11月。法興寺の造営が終わりました。大臣の男、善徳臣(ゼントコノオミ)を寺司としました。この日に慧慈(エジ)・慧聡(エソウ)は初めて法興寺に行きました。

即位5年夏4月1日。百済の王(キシ)は王子の阿佐(アサ)を派遣して朝貢しました。

冬11月22日。吉士磐金(キシイワカネ)を新羅に派遣しました。

即位6年夏4月。難波吉士磐金(ナニワノキシイワカネ)は新羅から到着して、鵲(カササギ=鳥の名前)の2隻、献上しました。すぐに難波社(ナニワノモリ=大阪市城東区森町?か、大阪市天王寺区生玉町?)で飼わせました。枝に巣を作って子を産みました。

秋8月1日。新羅は孔雀を1隻、献上しました。
冬10月10日。越国(コシノクニ=現在の北陸)は白鹿(シロキカセキ)を一頭、献上しました。
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解説

大臣の男善徳臣
この時代の「大臣」は蘇我馬子で、これは「大臣の長男の善徳」という意味。ややこしい。
吉士
吉士は新羅の官職名にも見られるので、朝鮮からの渡来系の名前ではないかと言われます。どうやら船の管理とか、管轄をしていたよう。
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原文

四年冬十一月、法興寺造竟、則以大臣男善德臣拜寺司。是日、慧慈・慧聰二僧始住於法興寺。

五年夏四月丁丑朔、百濟王遣王子阿佐、朝貢。冬十一月癸酉朔甲子、遣吉士磐金於新羅。

六年夏四月、難波吉士磐金、至自新羅而獻鵲二隻、乃俾養於難波社、因以巣枝而産之。秋八月己亥朔、新羅貢孔雀一隻。冬十月戊戌朔丁未、越國獻白鹿一頭。
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