鞍作鳥と仏像・高麗の大興王の三百両

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推古天皇(二十)鞍作鳥と仏像・高麗の大興王の三百両

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現代語訳

即位13年夏4月1日。天皇は皇太子(=厩戸皇子)と大臣(=蘇我馬子)と諸々の王と諸々の臣に詔(ミコトノリ)して、共に同じように誓い願いました。初めて銅と刺繍の丈六(ジョウロク=長さの単位=1丈6尺=仏像の基準の大きさ)の仏像を、それぞれ1体作りました。すぐに鞍作鳥(クラツクリノトリ=人物名)に命じて仏像を造る工(タクミ)としました。この時に高麗国の大興王(ダイコウオウ)は日本国の天皇が仏像を造ったと聞いて、黄金三百両を献上しました。
閏7月1日。皇太子は諸々の王と諸々の臣に命じて、褶(ヒラオビ)を着させました。
冬10月に皇太子は斑鳩宮(イカルガノミヤ)に居ました。
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解説

それぞれ仏像を
これまでは蘇我氏や一部の氏族の独占だった仏像を大量生産して、各氏族に配布し、そこで仏教を広めることになります。そうは言っても、聖徳太子の憲法十七条・冠位十二階を見ればわかるように、聖徳太子自身のロジックも仏教と儒教と神道と道教のごちゃ混ぜです。仏教を広めると言っても、それは「仏教一色に染まる」のではなく、都合のいいところを摘まむだけです。

まぁ、それは聖徳太子が「日本人」をよくよく理解していた結果なんだと私は思いますね。
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原文

十三年夏四月辛酉朔、天皇、詔皇太子大臣及諸王諸臣、共同發誓願、以始造銅繡丈六佛像各一軀。乃命鞍作鳥、爲造佛之工。是時、高麗國大興王、聞日本國天皇造佛像、貢上黃金三百兩。閏七月己未朔、皇太子命諸王諸臣、俾着褶。冬十月、皇太子居斑鳩宮。
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