大唐の親書・金の髻花と5色の陵羅

MENU
TOP>推古天皇(日本書紀)>推古天皇(二十八)大唐の親書・金の髻花と5色の陵羅

推古天皇(二十八)大唐の親書・金の髻花と5色の陵羅

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

現代語訳

(即位16年)秋8月3日。唐の客人は京(ミヤコ=ヤマトこのこと)に入りました。この日に飾騎(カザリウマ)75匹を派遣して唐の客人を海石榴市(ツバキチ)の術(チマタ=道)で出迎えました。額田部連比羅夫(ヌカタベノムラジヒラブ)は礼の辞(コト)を告知しました。

12日。唐の客人を朝廷に呼び出して、使者の旨(ムネ=目的)を申し上げさせました。その時に阿倍鳥臣(アヘノトリノオミ)・物部依網連抱(モノノベノヨサミノムラジイダキ)の二人を客人を導く者としました。大唐(モロコシ)の国の信物(クニツモノ=贈り物)を朝廷の中に置きました。その時に、使者の裴世清(ハイセイセイ)は親書を持って、二度、拝んで、使いの旨(ムネ)を申し上げました。その書によると
「皇帝は倭皇(ヤマトノスメラミコト)に問う。使者の長吏(チョウリ)の大礼(ダイライ=冠位十二階の位)の蘇因高(ソインコウ=小野妹子のこと)たちが、中国へと到着して、考えを明らかにした。朕(ワレ=ここでは中国皇帝の一人称)は宝命(タカラノミコト=地上を統治するように天から命じられること)を喜んで受けて、区宇(アメノシタ=天下)を臨み仰ぐ。徳化(イキオイ=徳を広めること)を広めて、含霊(ヨロズノモノ=すべてのもの)に徳が及んでいくことを思っている。愛し、育む心は、遠くとも近くとも隔たりは無い。皇(キミ)は海表(ワタノホカ=海外)に居て、民庶(オオミタカラ=庶民)を撫で愛し、安寧とし、境内(クニノウチ=国内)を安楽(ヤスラカ)にして、風俗(クニノシワザ)は融和(=仲良く)して、深い気持ちの通った誠意があるから、遠くの国から朝貢しに通い、修めると知った。丹款(ネンゴロニマコトナル=真心)は美しく、朕はめでたく思う。少しづつ暖かくなった。この頃は常となった。それで鴻臚寺(コウロジ=中国の役人の役職で、外国の使者を接待する)の裴世清たちを派遣して、訪問の言葉を宣べる。合わせて品物を送る。これは別にあります」
阿倍臣は進み出て、その書を受けてまた進みました。大伴囓連(オオトモノクイノムラジ)は迎えに出て、書を受けて大門(ミカド)の前の机の上に置いて申し上げました。仕事が終わって退出しました。この時に、皇子・諸々の王・諸々の臣の全員が金の髻花(ウズ)を頭に挿していました。また、衣服は皆、錦・紫・繡(ヌイモノ)・織(オリモノ)と5色の陵羅(アヤウスハタ=綺麗な薄い布)を用いていました。
ある書によると、服の色は、皆、冠の色を用いたと言います。

16日。唐の客人たちと朝廷で宴会をしました。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

解説

中国からの親書を読み上げる際、そこには皇子・臣・王が揃っていました。そこで、中国が天皇を褒め称える文章と、朝廷内には贈り物が並べられていました。これはすごいインパクトだったハズです。
当時の日本にとって中国は先進国でした。百済を通じて日本に入ってきた仏教も儒教も、もっと言えば漢字も中国から来たものです。そういう知識はあったでしょうから、その中国の親書と贈り物を見せつけられれば、天皇の地位は高まったでしょう。

ひっくり返すと天皇はそれまで、さほど高い地位ではなかったということになります。おそらく、聖徳太子は日本を、儒教的な「封建制度」へと緩やかに移行させようとしていたのではないかと思うのです。天皇はこれ以前でも確かに「権力」はあった。でも、儒教のように「下は上に絶対服従」「上は下に何をしてもいい」という権力は無く、天皇は臣下の意見を集約して、段取りをするくらいの仕事と権力だった。いや、無論、それでも日本の統治者だし、権力者なんだけど、中国や朝鮮のような権力者像とは違った。もっと緩やかだった。
これを強化しようとした。
でも、臣たちの頭には髻花(ウズ)をさしていたとあります。髻花は儀式用の伝統的なアクセサリーですから、古来の風習も残そうとしていた。儒教の封建制と言っても、古来の風習を全部やめるという気は無かったわけです。
このバランス感覚はすごい、と思いますね。
スポンサードリンク

原文

秋八月辛丑朔癸卯、唐客入京。是日、遣飾騎七十五匹而迎唐客於海石榴市術。額田部連比羅夫、以告禮辭焉。壬子、召唐客於朝庭令奏使旨。時、阿倍鳥臣・物部依網連抱二人、爲客之導者也。於是、大唐之国信物、置於庭中。時、使主裴世淸、親持書兩度再拜、言上使旨而立之。其書曰「皇帝問倭皇。使人長吏大禮蘇因高等至具懷。朕、欽承寶命、臨仰區宇、思弘德化、覃被含靈、愛育之情、無隔遐邇。知皇介居海表、撫寧民庶、境內安樂、風俗融和、深氣至誠、達脩朝貢。丹款之美、朕有嘉焉。稍暄、比如常也。故、遣鴻臚寺掌客裴世淸等、稍宣往意、幷送物如別。」時、阿倍臣、出進以受其書而進行。大伴囓連、迎出承書、置於大門前机上而奏之。事畢而退焉。是時、皇子諸王諸臣、悉以金髻花着頭、亦衣服皆用錦紫繡織及五色綾羅。一云、服色皆用冠色。丙辰、饗唐客等於朝。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

編集