十九年夏五月五日、菟田野での薬猟

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推古天皇(三十四)十九年夏五月五日、菟田野での薬猟

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現代語訳

即位19年夏5月5日。菟田野で薬猟(クスリガリ=鹿の角を取る=鹿茸とも言う)をしました。鶏鳴時(アカツキ=夜明け)になって、藤原池(フジワラノイケ)のほとりに集まりました。会明(アケボノ=日の出)になって出かけました。粟田細目臣(アワタノホソメノオミ)を前に行く部領(コトリ)としました。額田部比羅夫連(ヌカタベノヒラブムラジ)を後ろの部領(コトリ)としました。
この日の諸々の臣は服の色を、みんな、冠の色(=冠位十二階のこと)に従いました。それぞれが髻花(ウズ=髪に刺す飾)を刺していました。大徳・小徳は金。大仁・小仁は豹(ナカツカミ)の尾を。大礼より下は鳥の尾を用いました。

秋8月。新羅は沙㖨部奈末北叱智(サタクホウナマホクシチ)を派遣し、任那は習部大舍親智周智(シュウホウタサシンチシュチ)を派遣しました。どちらも朝貢しました。
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解説

19年夏5月5日
原文にも「十九年夏五月五日」とあります。ここまで全ての日付は全て「干支」で記述してあったのに、なぜか急に日付が書かれています。この日付による記述はここが初めてで、この後に3度出てきます。ともかく特殊です。これは、この記述に「元ネタ」があり、その元ネタの記述をそのままに引用しているためだろうと思います。ひっくり返すと、日本書紀の編纂に際して、できるだけ加工はしないようにしていた、ということではないかとも思うのですよね。

服の色
天皇の薬猟って「遊び」じゃないと思われます。つまり「儀式」です。民の健康を願ってですね。この儀式を冠位十二階のルールに従った衣服で参加するわけです。冠位十二階の位の名前は「徳」「仁」「礼」となっていることから、儒教の思想が反映されています。古来の儀式と儒教の思想がこうして並立するということを、示したのがこの文章なんじゃないかと思います。
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原文

十九年夏五月五日、藥獵於菟田野。取鶏鳴時、集于藤原池上、以會明乃往之。粟田細目臣爲前部領、額田部比羅夫連爲後部領。是日諸臣、服色皆隨冠色各著髻花、則大德小德並用金、大仁小仁用豹尾、大禮以下用鳥尾。秋八月、新羅遣沙㖨部奈末北叱智、任那遣習部大舍親智周智、共朝貢。
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