羽田の薬猟

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推古天皇(三十七)羽田の薬猟

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原文

夏五月五日、藥獵之、集于羽田、以相連參趣於朝、其裝束如菟田之獵。

現代語訳

(即位20年)夏5月5日。薬猟をして、羽田(ハタ=大和国高市郡波多郷=現在の奈良県高市郡高取町)に集まり、連なって朝廷に参上しました。その装束は菟田(ウダ)の雁の時のようでした。

性格・能力

前年の5月5日に同じように薬猟をしています。

ここでのポイントは日付が干支で書かれていないことです。これは元ネタの記述が干支で書かれていないから、それに準拠したのでしょう。それはつまり、日本書紀が引用を真面目にやっている証拠ではないかと。
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