味摩之の伎楽の舞

MENU
TOP>推古天皇(日本書紀)>推古天皇(三十九)味摩之の伎楽の舞
スポンサードリンク

推古天皇(三十九)味摩之の伎楽の舞

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

又百濟人味摩之、歸化、曰「學于吳、得伎樂儛。」則安置櫻井而集少年令習伎樂儛。於是、眞野首弟子・新漢濟文二人習之傅其儛、此今大市首・辟田首等祖也。

現代語訳

また百済人の味摩之(ミマシ)が帰化しました。味摩之(ミマシ)は言いました。
「呉(クレ=中国の南部)で学んで、伎楽(クレガク)の舞を会得しました」
桜井に安置(ハベ=居ら)らせて、少年たちを集めて、伎楽(クレガク)の舞を習わせました。それで真野首弟子(マノノオビトデシ)・新漢済文(イマキノアヤヒトサイモン)の二人は習ってその舞を伝えました。大市首(オオチノオビト)・辟田首(サキタノオビト)たちの祖先です。
スポンサードリンク

解説

こういった舞や音楽は日本に残っているのですが、朝鮮や中国では残っていません。まず、一つとして儒教の国では王朝が変わるたびに文化のリセットが行われるということです。そして、日本に舞や音楽が残るのは、舞や音楽を神に捧げるからです。神が文化を繋いでいるわけです。儒教には、そもそもその神が存在しないのですから、残りにくいのもしょうがないのです。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

管理人リンク

編集