隋の煬帝の30万の軍隊を高麗が破る

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推古天皇(四十五)隋の煬帝の30万の軍隊を高麗が破る

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原文

廿六年秋八月癸酉朔、高麗遣使貢方物、因以言「隋煬帝興卅萬衆攻我、返之爲我所破。故、貢獻俘虜貞公・普通二人及鼓吹弩抛石之類十物幷土物駱駝一匹。」

現代語訳

即位26年秋8月1日。高麗は使者を派遣して方物(クニツモノ=地方の特産品)を献上しました。それで言いました。
「隋の煬帝が30万の軍隊を興して我が国を攻めました。返って、私のために敗れました。そこで俘虜貞公(トリコテイコウ)・普通(フトウ)の2人と鼓吹(ツツミフエ)・弩(オオユミ)・抛石(イシハジキ=石を投げる機械)などを10種の物と、合わせて土物(クニツモノ=地方の特産品)・駱駝(ラクダ)1匹を献上します」
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解説

隋は4度高麗に侵略をしています。
598年 隋の文帝が30万の軍隊で
612年 隋の煬帝が100万の軍隊で
613年 隋の煬帝が
614年 隋の煬帝が

それで、このページで言うところの高麗の勝利はどの部分を指しているのか。ちなみに推古天皇の即位は593年1月15日 - 628年4月15日とされていて、即位26年は619年にあたり、どの戦争を指しているのかは分からないのです。ズレているか、混乱があるか。
ちなみに618年に煬帝は殺され、唐が成立します。この高麗の献上は、高麗を4度攻めた隋が滅んだことを祝った献上ではないかと思われます。
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