十拳剣(トツカノツルギ)

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トツカノツルギ

漢字・読み十拳剣
別名十束剣・十握剣・十掬剣
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概要

トツカノ剣と書いてあるのでもちろん戦いの道具として登場はするのですが、それは「オロチ退治」としてです。あとは、誓約で神を生んだり、榊を飾りつけるものとしての登場です。そう考えるとこのトツカノツルギという剣は、戦うための「剣」ではなく宗教的な性質を強く持っていたと考えた方が自然でしょうね。おそらく「矛」とほとんど同じようなものでしょう。矛もどうやら宗教的なので。
まとめ
日本書紀・古事記に登場する剣の名前。
●拳10個分の長さがあるとされる。
●用途や功績によって名前が変わる。
●名前には天之尾羽張(アメノオハバリ)・伊都之尾羽張(イツノオハバリ)・蛇之麁正(オロチノアラマサ)・蛇韓鋤之劒(オロチノカラサビノツルギ)・大量(オオハカリ)・神度剣(カムドノツルギ)など。
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物語・由来

イザナギカグツチを斬り殺したのがトツカノツルギなのですが、古事記ではこの刀を天之尾羽張(アメノオハバリ)もしくは伊都之尾羽張(イツノオハバリ)とも書いています。

また日本書紀ヤマタノオロチ退治の一書「第八段一書(二)安芸国の可愛川での大蛇との戦い」にはトツカノツルギのことを「蛇之麁正(オロチノアラマサ)」という名前で石上神社にあると書いてあります。

日本書紀の「第八段一書(三)大蛇の頭には石や松があり、両脇には山があり」ではトツカノツルギとは書いてありませんが、同一と思える描き方で「蛇韓鋤之劒(オロチノカラサビノツルギ)」と書いてあります。

同様に第八段一書(四)新羅国・曾尸茂梨(ソシモリ)にではトツカノツルギに当たる剣として「天蠅斫之劒(アメノハハキリノツルギ=天羽々斬剣)」が登場します。

アジスキタカヒコネが喪屋を壊したトツカノツルギは「大量(オオハカリ)」、別名を神度剣(カムドノツルギ)といいます。


あと布都御魂(フツノミタマ)もトツカノツルギとする人もいますが、それはどうも。布都御魂はかなり特別なモノなので。
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引用

刀(剣)から生まれた神
伊邪那岐命(イザナギミコト)は腰に挿していた十拳剣(トツカノツルギ)を抜いて、迦具土神(カグツチノカミ)の首を切りました。

宗像三女神の誕生
天照大御神アマテラスオオミカミ)がまず建速須佐之男命(タケハヤスサノオミコト)が持っていた「十拳の剣(トツカノツルギ)」を受け取って、三つに折り、天真名井(アメノマナイ)の水ですすいでから噛み砕き、吹き捨てました。

刀が欠けてしまう
速須佐之男命(ハヤスサノオミコト)が身に着けていた十拳剣(トツカノツルギ)を抜いて、その蛇を切り刻みました。

タカヒコネが喪屋を破壊
阿遅志貴高日子根神(アジスキタカヒコネ神)はとても怒り、
「わたしは愛しい友だからこそ弔いに来た。
どうして私を、穢れた死者と比定するのか!!」
と言って、身につけていた十拳剣(トツカノツルギ)を抜いて、喪屋を切り壊し、足で蹴っ飛ばしてしまいました。

切先にあぐらをかく武神
天鳥船神(アメノトリフネ神)と建御雷神(タケミカヅチ神)の二柱は、出雲の伊那佐(イザサ)の浜に降り立ちました。
そして十拳剣(トツカノツルギ)を抜き、
逆にして海に立てて、その剣の刃の上にあぐらをかいて、
大国主神(オオクニヌシ神)に問いました。

元の釣り針を返して欲しい
そこで弟(=火遠理命)は十拳剣(トツカノツルギ)を砕いて、釣り針を500個作って、兄に弁償したのですが、受け取ってもらえませんでした。

第五段一書(六)-1冥土めぐり
イザナギ十握剣(トツカノツルギ)カグツチを三段に切りました。それらの部位がそれぞれ神となりました。

第六段本文-3 赤心を証明するための誓約
それでアマテラススサノオが持っていた十拳釼(トツカノツルギ)を受け取り、これを三段に折って、天眞名井(アメノマナイ)の井戸水で濯(すす)いで清めて、カリカリと噛んで砕いてフっと噴出しました。

第六段本文-4 誓約の結果は?
またアマテラスは言いました。
「その十拳釼(トツカノツルギ)はスサノオのものだ。よってこの三女神はお前(=スサノオ)のものだ」
と、スサノオに女神を授けました。

第六段一書(一)天孫によって祀られなさい
「弟(=スサノオ)が昇ってくる理由は、良い心持からのことではないだろう。私の高天原を奪おうと考えてのことに違いない!」
すぐに男のように身支度をして、十拳剣(トツカノツルギ)、九拳剣(ココノツカノツルギ)、八拳剣(ヤツカノツルギ)を身につけ、背には靭(ユギ=矢を入れる筒)を負い、腕には稜威之髙鞆(イズノタカトモ=神聖な腕の防具)を身につけ、手に弓矢を握り、スサノオの侵略を防ごうとしました。

第六段一書(一)天孫によって祀られなさい
腰の十拳剣を噛んで生んだ子供が瀛津嶋姫(オキツシマヒメ)です。九拳剣を噛んで生まれた子供は湍津姫(タギツヒメ)です。八拳剣を噛んで生まれた子供は田心姫(タゴリヒメ)です。以上三柱の女神です。

第六段一書(三)六柱の男神
そこで日神はまず十拳釼(トツカノツルギ)を食べて生まれた子は瀛津嶋姫命(オキツシマヒメ)、別名を市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)といいます。また九拳釼(ココノツカノツルギ)を食べて生まれた子は湍津姫命(タギツヒメ)です。八握劒(ヤツカノツルギ)を食べて生まれた子が田霧姫命(タキリヒメ)です。

第七段一書(三)-4悪行→岩戸→追放→誓約
それで日の神はまず十拳釼(トツカノツルギ)を噛みました。

第八段本文-2酒造り・オロチ・草薙の剣
そのとき、スサノオは腰に挿している十拳釼(トツカノツルギ)を抜いて、八本の尾をズタズタに斬り裂きました。

第九段本文―6出雲の三穗之碕にて
この二柱の神(フツヌシタケミカヅチ)は天から出雲の五十田狹之小汀(イサタノオハマ)に降りました。そこで十握劒(トツカノツルギ)を抜いて、地に逆さまに突き刺し、立てて、その剣先に胡坐(アグラ)をかいて座り、大己貴神(オオアナムチノカミ=オオクニヌシ)に問いました。

第九段一書(一)―2妻子「生きてらっしゃった!!」
味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)は怒って言いました。
「友達が亡くなったから、ここに来て弔ったというのに、どうして私を死人と間違えるのか!」
すぐに十握劒(トツカノツルギ)を抜いて喪屋(モヤ=葬儀の小屋)を斬り倒しました。その喪屋が天から落ちて山と成りました。それが美濃国(ミノノクニ)の喪山(モヤマ)です。

仲哀天皇(七)筑紫の岡県主の祖先の熊鰐
即位8年春1月4日。筑紫に行きました。その時に、岡県主(オカノアガタヌシ)の祖先の熊鰐(ワニ)が天皇の車駕(ミユキ=天皇が乗る乗り物)が来ると聞いて、あらかじめ五百枝賢木(イホエノサカキ)を抜き取って、九尋(ココノヒロ)の船の舳(ヘ)に立てて、上枝(カミツエ)には白銅鏡(マスミノカガミ)を掛け、中枝(ナカツエ)には十握剣(トツカノツルギ)を掛け、下枝(シモツエ)には八尺瓊(ヤサカニ=大きな勾玉)を掛け、周芳(スワ=山口県防府市佐波)の沙麼之浦(サバノウラ)に迎えに行きました。魚塩(ナシオ)の地(=魚や塩が取れる土地)を(天皇に)献上しました。

仲哀天皇(九)伊覩県主の祖先、五十迹手と伊覩の地名説話
筑紫の伊覩縣主(イトノアガタヌシ=伊覩は現在の福岡県糸島郡)の祖先の五十迹手(イトテ)は天皇が来るのを聞いて、五百枝賢木(イホエノサカキ)を抜き取って、船の舳艫(トモエ)に立てて、上枝(カミツエ)には八尺瓊(ヤサカニ)を掛け、中枝(ナカツエ)には白銅鏡(マスミノカガミ)を掛け、下枝(シモツエ)には十握剣(トツカノツルギ)を掛け、穴門(アナト=長門=現在の山口県)の引嶋(ヒコシマ)に出迎えました。それで言いました。
「臣(ヤツカレ=部下=自分のこと)は敢えて、この物を献上する理由は、天皇は八尺瓊(ヤサカニ=勾玉)の勾(マガ=曲が)っているように、曲妙(タエ)に天下を治め、また白銅鏡(マスミノカガミ)のように分明(アキラカ)に山川海原を看て、この十握剣をひっさげて天下を平定していただきたいと思っているからです」
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