観勤僧を僧正に・鞍部徳積を僧都に

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推古天皇(五十八)観勤僧を僧正に・鞍部徳積を僧都に

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現代語訳

百済の観勤僧(カンロクホウシ)は表(フミ)を献上して言いました。
「その仏法というものは、西国(テンジク)から漢(モロコシ)に至り、300年を経て、伝わって百済国に至り、やっと100年です。そして我が王である、日本の天皇の賢哲(サカシクマシマスコト)を聞いて、仏像と内典(ホトケノノリ=仏法)を献上して、未だに100年になっていません。今、この時に当たり、僧・尼は未だ法律を習っていないので、簡単に悪逆なことを犯してしまう。それで諸々の僧尼は畏まって、どうするべきか分かっていません。仰ぎ、願わくば、この悪逆な者を除いて、それ以外の僧尼は全員、許して罪に問わないでください。これは大きな功徳です」
天皇は聞き入れて、許しました。
13日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「その道人(オコナイスルヒト)も法を犯す者だ。何を持って俗人に教えるのか。今から後、僧正(ソウジョウ=仏教統制機関)・僧都(ソウズ=仏教統制機関)を任命して、僧尼を検校(カムガウ=調べる)ることにしよう」
17日。観勤僧(カンロクホウシ)を僧正としました。鞍部徳積(クラツクリノトクシャク)を僧都としました。その日に阿曇連(アズミノムラジ)…
名前は漏れていて分かりません。

を法頭(ホウヅ)としました。
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解説

西国…つまりインドから、中国に伝わるまでに300年。それから百済に伝わって100年。日本に伝わってからは100年経っていない。それで、この「推古天皇即位32年」は西暦では624年とされます。このページの記述が正しいとすると、百済に伝わったのは5世紀前半。中国に伝わったのは2世紀になります。現代では中国に仏教が伝わったのが1世紀前後とされるのですが、まぁ、あながちこの記述は間違っていないような。

それで日本に仏教が伝わったのが、欽明天皇13年(552年)とされます。ただ『上宮聖徳法王帝説』(聖徳太子の伝記)や、『元興寺伽藍縁起』によると、538年とも言われます。どちらにしても、やたらと正しい記述です。
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原文

於是、百濟觀勤僧、表上以言「夫佛法自西國至于漢經三百歲、乃傳之至於百濟國而僅一百年矣。然我王聞日本天皇之賢哲而貢上佛像及內典、未滿百歲。故當今時、以僧尼未習法律、輙犯惡逆。是以、諸僧尼惶懼、以不知所如。仰願、其除惡逆者以外僧尼、悉赦而勿罪。是大功德也。」天皇乃聽之。戊午、詔曰「夫道人尚犯法、何以誨俗人。故、自今已後、任僧正僧都、仍應檢校僧尼。」壬戌、以觀勒僧爲僧正、以鞍部德積爲僧都、卽日以阿曇連闕名爲法頭。
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