田村皇子か山背大兄王かで臣下たちは別れる

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舒明天皇(三)田村皇子か山背大兄王かで臣下たちは別れる

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原文

時群臣默之、無答、亦問之、非答。强且問之。於是、大伴鯨連進曰「既從天皇遺命耳。更不可待群言。」阿倍臣則問曰「何謂也、開其意。」對曰「天皇曷思歟、詔田村皇子曰天下大任也不可緩。因此而言皇位既定、誰人異言。」時、采女臣摩禮志・高向臣宇摩・中臣連彌氣・難波吉士身刺、四臣曰「隨大伴連言、更無異。」許勢臣大麻呂・佐伯連東人・紀臣鹽手、三人進曰「山背大兄王、是宜爲天皇。」唯、蘇我倉麻呂臣更名雄當臣獨曰「臣也當時不得便言、更思之後啓。」爰大臣知群臣不和而不能成事、退之。

現代語訳

その時、群臣(マヘツノキミタチ=臣下たち)はっ黙っていて、答えることはありませんでした。また問いましたが、答えはありませんでした。強く、また問いました。すると大伴鯨連(オオトモノクジラノムラジ)が進み出て言いました。
「すでに天皇の遺言に従うだけです。さらに群(マヘツキミタチ)の言葉を待つべきではない」
阿倍臣(アヘノオミ)は問いて言いました。
「どういうことか、その意味を示せ」
答えて言いました。
「天皇がどう思っていたか、田村皇子に詔(ミコトノリ)して言ったのです。
『天下は大任(オオキナルヨサシ)だ。怠るべきではないぞ』と言ったのです。これによってみれば皇位はすでに定まっています(田村皇子が天皇、という意味)。誰が違うと言ったというのでしょうか」
その時に采女臣摩礼志(ウネメノオミマレシ)・高向臣宇摩(タカムクノオウマ)・中臣連弥気(ナカトミノムラジミケ)・難波吉士身刺(ナニワノキシムザシ)の4人の臣下は言いました。
大伴連の言ったように、異存はありません」
許勢臣大麻呂(コセノオミオオマロ)・佐伯連東人(サエキノムラジアズマヒト)・紀臣塩手(キノオミシオテ)の3人は進み出て言いました。
「山背大兄王(ヤマシロノオオエノミコ=聖徳太子の子)を天皇とするべきです」
ただ、蘇我倉麻呂臣(ソガノクラマロ)…
別名を雄当(オマサ)といいます。

だけが一人、言いました。
「わたしめは、今のところ、容易く言葉にすることは出来ません。さらに考えてのちに言おうと思います」
大臣と群臣は和合せず、事を成すことは出来ないと分かって、退出しました。
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解説

和せず
田村皇子か山背大兄王か?
これで臣下たちは別れてしまいます。

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