斑鳩宮での三国王と桜井臣の伝達

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舒明天皇(六)斑鳩宮での三国王と桜井臣の伝達

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現代語訳

群大夫等(マヘツノキミタチ=臣下たち)は大臣の言葉を受けて、ともに斑鳩宮(イカルガノミヤ=聖徳太子の宮で、山背大兄王の居るところ)に詣でました。三国王(ミクニノオオキミ)と桜井臣(サクライノオミ)に大臣(=蘇我蝦夷)の言葉を山背大兄(ヤマシロノオオエ)に申し上げさせました。大兄王は群大夫等(マヘツキミタチ)に伝え問わせました。
天皇の遺言をどう思うか?」
答えて言いました。
「私めらは、その深い事情を知りません。ただし大臣が語る、その状況によると……
天皇が病に伏せたその日、田村皇子に詔(ミコトノリ)して言ったのです。
『軽々しく、容易く将来の国政に口を出してはいけない。田村皇子は慎みを持って発言しなさい。緩めてはいけない』
と。
次に大兄王に詔(ミコトノリ)して言いました。
『お前は、未熟者だ。だからやかましく言ってはいけない。必ず、群臣(マヘツキミタチ)の言葉に従うべきだ』
このことは、近くに使える諸々の女王(ヒメオオキミ)や采女(ウネメ=侍女)たちの全員に知られていました。また大王(キミ)をハッキリとする時期だとも言っています」
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解説

揉める大和朝廷
推古天皇は余計な言葉を残しました。
こうして何度も反芻されるということは、この言葉が舒明天皇即位の決定打になったということでしょうが、ひっくり返すと、舒明天皇が即位した理由というのがこの遺言以外には無いということです。物語上は多くの臣下が舒明天皇即位に賛成していることになっていますが、蘇我蝦夷は権力者であり、賛成したと言ってもどの程度の「自分の意思」があったのかは怪しいものです。
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原文

爰、群大夫等、受大臣之言、共詣于斑鳩宮。使三国王・櫻井臣以大臣之辭啓於山背大兄。時、大兄王、使傳問群大夫等曰「天皇遺詔奈之何。」對曰、臣等不知其深、唯得大臣語狀、稱、天皇臥病之日、詔田村皇子曰「非輕輙言來之国政。是以、爾田村皇子、愼以言之、不可緩。」次詔大兄王曰「汝肝稚、而勿諠言、必宜從群臣言。」是乃、近侍諸女王及采女等、悉知之、且大王所察。」
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