舒明天皇(九)磯城嶋宮御宇天皇から現在まで

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舒明天皇(九)磯城嶋宮御宇天皇から現在まで

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現代語訳

数日後、山背大兄(ヤマシロノオオエ)は桜井臣を派遣して大臣(=蘇我蝦夷)に言いました。
「先日のことは、聞いたことを陳述しただけです。むしろ叔父に間違いがあるのではないですか?」
この日に大臣は病気になって、面と向かって桜井臣に返事をいうことが出来ませんでした。明くる日、大臣は桜井臣を呼び寄せて、阿倍臣(アヘノオオミ)・中臣連(ナカトミノムラジ)・河辺臣(カワヘノオミ)・小墾田臣(オハリダノオミ)・大伴連(オオトモノムラジ)を派遣して、山背大兄に申し上げて言いました。
「磯城嶋宮御宇天皇(シキシマノミヤニアメノシタシラシシスメラミコト=欽明天皇=蘇我氏が大臣となった最初の天皇)の世から現在の世まで群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)は皆、賢哲(サカシ=賢い)です。ただいま、私めは不賢(オサナイ=賢くない)のに、たまたま偶然に人が乏しい時代にあたって、間違って群臣の上に居るだけです。それで基盤(=天皇位を誰にするか)を定めることはできません。しかし、このことはとても重要なことです。伝え申し上げることはできません。老臣(オキナ)は苦労といえども、面と向かって申し上げようと思います。それはただただ、遺言を誤らせないためです。私めには私心はありません」
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解説

面と向かって直接言う
ほとんど同じやりとりがこれ以前にもありました。

直接申し上げます。だから今は詳細は言えません。というのは常套句だったのか、はたまた「直接会って殺す」という隠れた意図があったのか。ただ蘇我氏はとにかく、臣下たちを集めてから、山背大兄王に発言するようにしているので、蘇我蝦夷と山背大兄王の関係はまだ主従という形式から逸脱しているわけではないし、蘇我蝦夷が逃げ腰であることは間違いない。
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原文

於是、數日之後、山背大兄、亦遣櫻井臣告大臣曰「先日之事、陳聞耳。寧違叔父哉。」是日、大臣病動、以不能面言於櫻井臣。明日、大臣喚櫻井臣、卽遣阿倍臣・中臣連・河邊臣・小墾田臣・大伴連、啓山背大兄言「自磯城嶋宮御宇天皇之世及近世者、群卿皆賢哲也。唯今、臣不賢、而遇當乏人之時誤居群臣上耳。是以、不得定基。然、是事重也、不能傳噵。故、老臣雖勞、面啓之。其唯不誤遺勅者也、非臣私意。」
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