舒明天皇(十四)田村皇子の即位・田部連を屋久島に派遣

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舒明天皇(十四)田村皇子の即位・田部連を屋久島に派遣

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現代語訳

即位1年。春1月4日。大臣(=蘇我蝦夷)と群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)はともに天皇の璽印(ミシルシ)を田村皇子(タムラノミコ)に献上しました。すぐに辞退して言いました。
「宗廟(クニイエ=国家)の運営は重大事です。寡人(オノレ=自分を卑下した言い方)は不賢(オサナイ)のです。どうしてこの重大事に当たることができようか」
群臣は伏して固く請願して言いました。
「大王(キミ)は先朝(サキノミカド=推古天皇)が寵愛し、幽顯(カミモヒトモ)心を属(ツ)けています。皇統を継ぎ、百姓国民を照らしてください」
その日に天皇に即位しました。

夏4月1日。田部連(タベノムラジ)…
名前は漏れていてわからない。

を掖玖(ヤク=屋久島)に派遣しました。この年、太歲己丑です。
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解説

蘇我蝦夷が田村皇子を押した理由の一つに「仏教はまずい」という考えがあったのではないか?と思います。仏教は蘇我稲目の時代から「信仰すると天変地異がある」もので、仏教を推進した推古天皇の時代にも疫病や天変地異が発生しました。

私はもう一つ「屋久島」というキーワードがあったのではないか?とも思います。神功皇后が朝鮮を影響下におきましたが、それはあくまで「九州南部が手に入らなかったから」です。九州南部からの沖縄・台湾・東南アジア・中国という「貿易ルート」が欲しかった。しかし熊襲は大和朝廷に参加しない。そこで仕方なく朝鮮ルートを取った。それが神功皇后の朝鮮征伐だった。

その朝鮮から正式な仏教が伝来した。しかし仏教を信仰すると天変地異が起きる。そこに推古天皇の時代に屋久島から人がやってくるようになった。つまり九州南部との関係が強化されて貿易ルートが開拓されたのです。こうなってしまえば、仏教はただただリスクがあるだけです。

仏教派の聖徳太子の子の山背大兄王ではなく、旧来の皇族の田村皇子を天皇に押したのはこの辺りも理由にあるのではないかと。
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原文

元年春正月癸卯朔丙午、大臣及群卿、共以天皇之璽印、獻於田村皇子。則辭之曰「宗廟重事矣。寡人不賢、何敢當乎。」群臣伏固請曰「大王、先朝鍾愛、幽顯屬心。宜纂皇綜、光臨億兆。」卽日、卽天皇位。夏四月辛未朔、遣田部連闕名於掖玖。是年也、太歲己丑。
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