舒明天皇(十六)犬上君三田耜と薬師恵日を大唐に派遣

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舒明天皇(十六)犬上君三田耜と薬師恵日を大唐に派遣

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現代語訳

(即位2年)秋8月5日。大仁犬上君三田耜(ダイニンイヌカミノキミミタスキ)・大仁薬師恵日(ダイニンクスシエニチ)を大唐(モロコシ=中国)に派遣しました。
8月8日。高麗・百済の客人を朝廷でもてなし、宴会をしました。

9月4日。高麗・百済の客人が国に帰りました。この月に田部連(タベノムラジ)が掖玖(ヤク=屋久島)から帰ってきました。

冬10月12日。天皇は飛鳥岡(アスカノオカ)のほとりに遷都しました。これを岡本宮(オカモトノミヤ=奈良県高市郡明日香村雷・奥山?)といいます。この年、改めて難波の大郡(オオコオリ)と三韓(ミツノカラヒト)の館(ムロツミ)を修理しました。
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解説

大仁
大仁は冠位十二階で3番目の位。かなりの実力者を送った、という感じがしますが、冠位十二階は「能力」によって位を与える制度で、朝廷の重要人物を送ったのかというと、また少し違う。
恵日
恵日は推古天皇即位31年の所でもすでに登場済み。

「大唐の学問者で医者の恵日」という描かれ方で「中国人」のような気がしますが、どうやら日本人が中国で学んで、僧侶の名前をもらったよう。
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原文

秋八月癸巳朔丁酉、以大仁犬上君三田耜・大仁藥師惠日、遣於大唐。庚子、饗高麗百濟客於朝。九月癸亥朔丙寅、高麗・百濟客歸于国。是月、田部連等、至自掖玖。冬十月壬辰朔癸卯、天皇遷於飛鳥岡傍、是謂岡本宮。是歲、改修理難波大郡及三韓館。
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