舒明天皇(十七)掖玖人の帰化・百済王義慈の王子の豊章を人質に

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舒明天皇(十七)掖玖人の帰化・百済王義慈の王子の豊章を人質に

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現代語訳

即位3年春2月10日。掖玖人(ヤクノヒト=屋久島の人)が帰化しました。
3月1日。百済の王の義慈(ギジ)は王子の豊章(ホウショウ)を献上して人質としました。
秋9月19日。舒明天皇が津国の有間温湯(アリマノユ)に行きました。
冬12月13日。天皇は温湯(ユ)から帰りました。
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解説

屋久島の人が帰化
この時代の屋久島の人は日本語では無かったでしょう。それが日本に帰化したことは、日本が屋久島から沖縄・台湾へとつながる交易ルートを手に入れたという意味であり、屋久島が大和朝廷に参加したということです。
では熊襲はどうなったのか?
義慈
百済の義慈王は西暦でいうと599年から660年にいて、641年から660年まで在位した百済の王です。三国史記にはその子の一人に「豊」とあり、日本書紀と一致します。この義慈が新羅との戦いに敗れ、百済は滅亡します。

そして人質として日本に居た「豊」が天智天皇から軍事援助を受けて百済の復興をかけて白村江の戦いへと進むことになります。このページは意外と大事なことが書いてあることになりますね。
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原文

三年春二月辛卯朔庚子、掖玖人歸化。三月庚申朔、百濟王義慈、入王子豐章爲質。秋九月丁巳朔乙亥、幸于津國有間温湯。冬十二月丙戌朔戊戌、天皇至自温湯。
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