舒明天皇(十九)高表仁の帰国・彗星

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舒明天皇(十九)高表仁の帰国・彗星

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現代語訳

即位5年春1月26日。大唐(モロコシ=中国)の客人の高表仁たちが国に帰りました。送使(オクルツカイ)の吉士雄摩呂(キシノオマロ)・黒摩呂(クロマロ)たちは対馬に到着して帰りました。

即位6年秋8月。長い星が南の方に見えました。その時代の人は箒星(ハハキボシ)と言いました。

即位7年春3月。箒星が巡って東に見えました。

夏6月10日。百済は達率柔等(ダチソチヌラ)を派遣して朝貢しました。
秋7月7日。百済の客人と朝廷で宴会をしました。
この月、怪しげな蓮が剣池(ツルギノイケ=奈良県橿原市石川町)にはえました。一つの茎に二つの花がありました。
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解説

達率柔等
達率は百済の位で第二。かなりの高位です。
剣池
剣池応神天皇の時代に作られたとあります。これは古事記にも日本書紀にも書いてあります。ちなみに孝元天皇の墓は剣池の近くにあると書いてあります。
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原文

五年春正月己卯朔甲辰、大唐客高表仁等歸国。送使吉士雄摩呂・黑摩呂等到對馬而還之。

六年秋八月、長星見南方、時人曰篲星。七年春三月、篲星廻見于東。夏六月乙丑朔甲戌、百濟遣達率柔等朝貢。秋七月乙未朔辛丑、饗百濟客於朝。是月、瑞蓮生於劒池、一莖二花。
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