舒明天皇(二十三)大風・桃季の花・有間温湯宮

MENU
TOP>舒明天皇(日本書紀)>舒明天皇(二十三)大風・桃季の花・有間温湯宮
スポンサードリンク

舒明天皇(二十三)大風・桃季の花・有間温湯宮

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

十年秋七月丁未朔乙丑、大風之折木發屋。九月霖雨、桃李花。冬十月、幸有間温湯宮。是歲、百濟・新羅・任那並朝貢。

現代語訳

即位10年秋7月19日。大きな風が吹いて、木を折り、屋(イエ)を壊しました。
9月。霖雨(ナガメ=長雨)で、桃季(モモスモモ)の花が咲きました。
冬10月に舒明天皇は有間温湯宮(アリマノユノミヤ)に行きました。
この年は百済・新羅・任那が一緒に朝貢しました。

解説

天変地異の記述が推古天皇以降多いです。
私は仏教を信仰したことによる…という認識だったのですが、もしかしたら聖徳太子が死んだことによる「祟り」だと当時の人は思っていたのかも。となると聖徳太子は暗殺されたか何か、ということになるのですけどね。まぁ、そこは置いておいて。
9月の長雨
9月は「秋雨前線」が来る時期ですから、この時期に長雨になること自体は大したことは無いはずです。ただ、この時代は世界的に「寒くなる」時期で、これ以前は秋に「秋雨前線」が日本に停滞していなかったのかもしれません。

また7月の大風も、素直に考えれば台風です。本来は取り立てて書くほどのことでも無いのですよね。もしかしたら、単純に「敏感」になっていたのかも。それはつまり、政治が乱れているからです。政治が乱れているから、多少の天変地異が「悪い兆候」に思えて仕方ない、そういう雰囲気だったのかもしれません。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

管理人リンク

編集