舒明天皇(二十五)無量寿経を読ませる・百済宮で崩御

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舒明天皇(二十五)無量寿経を読ませる・百済宮で崩御

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原文

十二年春二月戊辰朔甲戌、星、入月。夏四月丁卯朔壬午、天皇至自伊豫、便居廐坂宮。五月丁酉朔辛丑、大設齋、因以請惠隱僧令說無量壽經。冬十月乙丑朔乙亥、大唐學問僧淸安・學生高向漢人玄理、傳新羅而至之、仍百濟・新羅朝貢之使共從來之、則各賜爵一級。是月、徙於百濟宮。

十三年冬十月己丑朔丁酉、天皇崩于百濟宮。丙午、殯於宮北、是謂百濟大殯。是時、東宮開別皇子、年十六而誄之。

現代語訳

即位12年春2月7日。星が月に入りました。
夏4月16日。天皇は伊予(イヨノクニ)から帰りました。廐坂宮(ウマヤサカノミヤ=橿原市大軽町のどこか)に居ます。
5月5日。大いに設斎(オガミ=儀式をする)しました。恵隠(エオン)僧(ホウシ)に請願して、無量寿経を説かせました。

冬10月11日。大唐(モロコシ=中国)の学問僧の清安(セイアン)、学生の高向漢人玄理(タカムクノアヤヒトゲンリ)、新羅を通じて到着しました。なお、百済・新羅の朝貢の使者も従ってきました。それぞれに爵(カウブリ=冠位)を1級与えました。
この月に百済宮(クダラノミヤ)に移りました。

即位13年冬10月9日。天皇は百済宮で崩御しました。18日。宮の北で殯(モガリ=遺体の仮安置)をしました。これを百済の大殯と言います。この時、東宮開別皇子(マウケノキミヒラカスワケノミコ=のちの天智天皇)は年齢16歳で誄(シノビコト=弔辞)をしました。
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解説

湯治をしていた舒明天皇がついには崩御。崩御前に、儀式をして無量寿経を読ませたのも、病気治療祈願だったと考えるべきでしょうね。

これにて舒明天皇はおしまい。
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