皇極天皇(三)蘇我蝦夷は畝傍の家で翹岐たちと対話する

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皇極天皇(三)蘇我蝦夷は畝傍の家で翹岐たちと対話する

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現代語訳

(即位1年)3月3日。雲が無く、雨が降りました。
6日。新羅は賀騰極使(ヒツギヨロコブルツカイ=天皇即位を祝う使者)と葬式の弔いの使者を派遣しました。
15日に新羅の使者は帰りました。この月に霖雨(ナガメ=長雨)がありました。

夏4月8日。大使の翹岐(ゲウキ=百済の王子)はその従者を率いて、朝廷に拝礼しました。
10日。蘇我大臣(=蘇我蝦夷)は畝傍(ウネビ)の家で百済の翹岐たちを呼び寄せました。自ら、向かい合って対話をしました。それで良馬を1匹、鉄20挺を与えました。ただ塞上(サイジョウ=百済王の子で豊璋の弟)だけは呼びませんでした。この月、霖雨(ナガメ=長雨)がありました。
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解説

塞上
塞上は「皇極天皇(二)蝦夷を大臣に・入鹿の勢い・朝鮮半島の事情」でも「『塞上(サイジョウ=人物名=百済王の子で豊璋の弟)は常に悪いことをする。帰還する使者に随伴させて帰国させたいと請願しても天朝(スメラミコト天皇・朝廷)は許さないだろう』 」と百済国の主に言われているので、相当な悪童だったよう。ただ、どういう風に悪かったのかまでは書いてない。
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原文

三月丙辰朔戊午、無雲而雨。辛酉、新羅遣賀騰極使與弔喪使。庚午、新羅使人罷歸。是月、霖雨。夏四月丙戌朔癸巳、太使翹岐、將其從者拜朝。乙未、蘇我大臣、於畝傍家、喚百濟翹岐等。親對語話。仍賜良馬一匹・鐵廿鋌。唯不喚塞上。是月、霖雨。
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