奥津嶋比売命(オキツシマヒメノミコト)

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オキツシマヒメ

漢字・読み奥津嶋比売命・瀛津嶋姫命
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概要

まとめ
●名前は「沖の島」の「姫神」という意味。
●古事記では多紀理毘売命(タキリヒメミコト)の異名が奥津嶋比売命(オキツシマヒメノミコト)。
日本書紀六段一書(一)では十拳剣を噛んで生んだ子供が瀛津嶋姫(オキツシマヒメ)。
日本書紀六段一書(三)では十拳釼(トツカノツルギ)を食べて生まれた子は瀛津嶋姫命(オキツシマヒメ)、別名を市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)。

物語・由来

奥津嶋比売命(オキツシマヒメノミコト)は「沖の島の姫」という意味です。古事記と日本書紀の両方に出てくる名前ですが、古事記では多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)の別名。日本書紀の六段の一書(一)では、十拳剣(トツカノツルギ)から生まれた女神の名前。日本書紀の六段の一書(三)では十拳釼(トツカノツルギ)から生まれた女神の名前で、別名に市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)が挙げられています。

ややこしいので引用と

を参考にしてください。

オキツシマヒメは宗像大社の本家、宗像大社の宮の「沖津宮」「中津宮」「辺津宮」の沖津宮の姫神を表しているのでしょう。宗像三女神を信仰する海洋民族である宗像の民は、沖津宮を特別視した。それは一番沖にあって、目印として頼りにしていたからです。沖津宮が見えれば、どこに陸があるかは分かる。だから沖津宮が大事だった。オキツシマヒメという名前は特別な意味合いを持った。

その後、宗像の民は、水耕稲作を日本の各地に伝えた。その水耕稲作を伝えた民は、「辺津宮」周辺の住民で、辺津宮の神である「イチキシマヒメカミ」がそこでは特別視された。

それが宗像三女神の名前の順番や異名がゴチャゴチャとなっている理由であり、オキツシマヒメがタキリヒメの異名だったり、オキツシマヒメの異名がイチキシマヒメだったり、オキツシマヒメが単体で出たりしている理由だと思います。
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引用

宗像三女神の誕生
その息吹から生まれた神の名は
多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)。別名は奥津嶋比売命(オキツシマヒメノミコト)です。
次が市寸嶋比売命(イチキシマヒメオミコト)。別名は狭依毘売命(サヨリビメノミコト)。
次が多岐都比売命(タキツヒメノミコト)です。

第六段一書(一)天孫によって祀られなさい
そう言ってまず、腰の十拳剣を噛んで生んだ子供が瀛津嶋姫(オキツシマヒメ)です。九拳剣を噛んで生まれた子供は湍津姫(タギツヒメ)です。八拳剣を噛んで生まれた子供は田心姫(タゴリヒメ)です。以上三柱の女神です。

第六段一書(三)六柱の男神
日神はまず十拳釼(トツカノツルギ)を食べて生まれた子は瀛津嶋姫命(オキツシマヒメ)、別名を市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)といいます。また九拳釼(ココノツカノツルギ)を食べて生まれた子は湍津姫命(タギツヒメ)です。八握劒(ヤツカノツルギ)を食べて生まれた子が田霧姫命(タキリヒメ)です。
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