皇極天皇(二十九)船史恵尺は国記を献上・三首の謠歌の意味

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皇極天皇(二十九)船史恵尺は国記を献上・三首の謠歌の意味

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現代語訳

(即位4年)6月13日。蘇我臣蝦夷たちは、誅殺されるだろうと思って、すべての天皇記(スメラミコトノミフミ)・国記(クニツフミ)・珍宝(タカラモノ)を焼きました。船史恵尺(フネノフビトエサカ)は素早く焼かれそうになった国記(クニツフミ)を取って、中大兄に献上しました。この日に蘇我臣蝦夷と鞍作(クラツクリ=蘇我入鹿)の屍(カバネ)を墓に葬ることを許しました。また、哭泣(ネツカイ=葬式で泣く)を許しました。ここのある人の謠歌(ワザウタ)を説明して言いました。
「その歌に『遥遥(ハロハロ)に言(コソ)そ聞(キコ)ゆる、嶋の薮原』というのは、これは宮殿を嶋大臣(シマノオオオミ=蘇我馬子)の家に接して建てて、中大兄は中臣鎌子連(ナカトミノカマコノムラジ)と密かに大義を図り、入鹿を殺そうと謀議した兆しです」
第二の謠歌(ワザウタ)を説明して言いました。
「その歌の『彼方(オチカタ)の、浅野の雉(キギシ)、響(トヨモ)さず、我は寝しかど、人そ響(トヨモ)す』というのは、上宮(カミツミヤ)の王たちの性格は穏やかで素直なので、罪が有る、なんてことは無く、入鹿のせいで殺害されました。報復はないと言っても、天が人を誅殺させる兆しです」
第三の謠歌(ワザウタ)を説明して言いました。
「その歌に『小林(オバヤシ)に我を引き入れて、姧(セ)し人の、面も知らず、家も知らずも』というのは、入鹿臣が宮の中で佐伯連子麻呂(サエキノムラジコマロ)・稚犬養連網田(ワカイヌカイノムラジアミタ)のために誅殺された兆しです」
14日。皇極天皇は軽皇子(カルノミコ=孝徳天皇)に位を譲りました。中大兄を立てて皇太子としました。
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解説

これで皇極天皇は終わり。
ここで「皇極天皇(二十二)移風の兆・3首の歌」で歌われた歌の意味が説明されます。
天皇記・国記
天皇記・国記は蘇我馬子と聖徳太子が作った本です。
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原文

己酉、蘇我臣蝦夷等臨誅、悉燒天皇記・國記・珍寶。船史惠尺、卽疾取所燒國記、而奉獻中大兄。是日、蘇我臣蝦夷及鞍作屍、許葬於墓、復許哭泣。於是、或人說第一謠歌曰、其歌所謂、波魯波魯儞、渠騰曾枳舉喩屢、之麻能野父播羅、此卽宮殿接起於嶋大臣家、而中大兄與中臣鎌子連、密圖大義、謀戮入鹿之兆也。說第二謠歌曰、其歌所謂、烏智可拕能、阿娑努能枳々始、騰余謀作儒、倭例播禰始柯騰、比騰曾騰余謀須、此卽上宮王等性順、都無有罪、而爲入鹿見害。雖不自報、天使人誅之兆也。說第三謠歌曰、其歌所謂、烏麼野始儞、倭例烏比岐例底、制始比騰能、於謀提母始羅孺、伊弊母始羅孺母也、此卽入鹿臣、忽於宮中、爲佐伯連子麻呂・稚犬養連網田、所誅之兆也。

庚戌、讓位於輕皇子。立中大兄、爲皇太子。
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