孝徳天皇(十二)吉備笠臣垂の自首・古人大兄の謀反

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孝徳天皇(十二)吉備笠臣垂の自首・古人大兄の謀反

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原文

九月丙寅朔、遣使者於諸国治兵。(或本云、從六月至于九月、遣使者於四方国、集種々兵器。)戊辰、古人皇子、與蘇我田口臣川掘・物部朴井連椎子・吉備笠臣垂・倭漢文直麻呂・朴市秦造田來津、謀反。(或本云、古人太子。或本云、古人大兄。此皇子、入吉野山、故或云吉野太子。垂、此云、之娜屢。)丁丑、吉備笠臣垂、自首於大兄曰。吉野古人皇子、與蘇我田口臣川掘等謀反、臣預其徒。或本云、吉備笠臣垂、言於阿倍大臣與蘇我大臣曰。臣、預於吉野皇子謀反之徒、故今自首也。中大兄、卽使菟田朴室古・高麗宮知、將兵若干討古人大市皇子等。(或本云。十一月甲午卅日、中大兄使阿倍渠曾倍臣・佐伯部子麻呂二人、將兵卅人、攻古人大兄、斬古人大兄與子、其妃妾自經死。或本云。十一月、吉野大兄王謀反、事覺、伏誅也。
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現代語訳

(即位1年)9月1日に使者を諸国に派遣して、兵(ツワモノ=武器)を治めました。
ある本によると、6月から9月までに使者を四方の国に派遣して、いろんな種類の兵器を集めさせました。

9月3日。古人皇子(フルヒトノミコ)は蘇我田口臣川堀(ソガタグチノオミカワホリ)・物部朴井連椎子(モノノベノエノイノムラジシイノミ)・吉備笠臣垂(キビノカサノオミシダル)・倭漢文直麻呂(ヤマトノアヤノフミノアタイマロ)・朴市秦造田来津(エチノハダノミヤツコタクツ)と、謀反しました。
ある本によると、古人太子(フルヒトノヒツギノミコ)と言います。ある本によると、古人大兄(フルヒトノオオエ)と言います。この皇子は吉野山(ヨシノノヤマ)に入りました。そのため、吉野太子(ヨシノノヒツギノミコ)とも言います。
垂は之娜屢(シダル)と言います。

9月12日。吉備笠臣垂(キビノカサノオミシダル)は中大兄(ナカノオオエ)に自首して言いました。
「吉野の古人皇子(フルヒトノミコ)は蘇我田口臣川堀(ソガタグチノオミカワホリ)たちと謀反しようとしています。私めはその徒(トモガラ=仲間)に加わりました」
ある本によると、吉備笠臣垂は阿倍大臣(アヘノオオオミ=阿倍内麻呂)と蘇我大臣(ソガノオオオミ=蘇我倉山田石川麻呂)とに申し上げて言いました。
「私めは、吉野皇子が謀反する徒(トモガラ)に加わりました。今、自首します」
と言ったと言います。

中大兄はすぐに菟田朴室古(ウダノエムロノフル)・高麗宮知(コマノミヤシリ)を使って、兵を若干(ソコバク)を率いて、古人大市皇子(フルヒトノオオチノミコ)たちを征討させました。
ある本によると11月30日。中大兄は阿倍渠曾倍臣(アヘノオソヘノオミ)・佐伯部子麻呂(サエキベノコマロ)の二人を使って、兵40人を率いて、古人大兄を攻めて、古人大兄と子を斬り殺しました。その妃妾(ミメ)は自殺して死んだと言います。
ある本によると、11月に吉野大兄王は謀反しようとしました。その事が発覚して殺されたと言います。
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解説

乙巳の変で蘇我入鹿・蘇我蝦夷が殺された時、蘇我氏が擁立しようとしていた古人大兄は、皇位を勧められたのですがそれを断って、吉野山に入り、仏門に入ったとあります。つまりお坊さんになったわけです。それが謀反。

このパターン。どこか見たことがあります。
「壬申の乱」です。
のちの天武天皇である大海人皇子は、兄である天智天皇(=中大兄皇子)に皇位を譲られますが、これを断り、吉野に入り、仏門に入ります。そしてその後は、日本初のクーデターに成功し、天武天皇に即位します。

吉野ってのは何なのでしょうか。
吉野は遊興の地。つまり観光地というか、避暑地というか、現在の軽井沢のようなところでありつつ、古代からの古い神道の土地です。そこに仏教が入り込んで生まれたのが、役小角の修験道でした。役小角は舒明天皇の時代の人物ですから、孝徳天皇の時代には当然ながら「修験道」というものが存在します。

私は古人大兄は、大和朝廷に古くから関わる氏族と、仏教はの氏族の両方を敵に回した今、頼れるのは「修験道」という新しいグループだった、のではないか?と思います。無論、想像なんですが、修験道というグループは、各地の山にこもり、そこで活動するゲリラ部隊のようなものだった。彼らの援助を受けようとしたから、危機感を持った中央にやられた。

それはつまり、のちの壬申の乱も同様の意味があったのでしょう。大海人皇子が即位を断り、吉野にこもると言ったときに、天智天皇の側近が、「翼の生えた虎を放したようなもの」と言ったのは、「大海人皇子に修験道のゲリラ部隊を与えたようなもの」と批判したということになります。

ま、想像ですよ。
異説が多いのは
それだけ本があったということでしょう。
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