孝徳天皇(十四)難波長柄豊碕への遷都

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孝徳天皇(十四)難波長柄豊碕への遷都

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現代語訳

冬12月9日。孝徳天皇は都を難波長柄豊碕(ナニワノナガラノトヨサキ)に遷都しました。老人たちは語り合って言いました。
「春から夏になるまでに、鼠が難波に向かったのは遷都する兆候だったのか」
12月24日。越国ではこう言っていました。
「海の畔(ホトリ)に枯査(ウキキ=海に浮いた枯れた切り株)が東に向かって移って行って去りました。沙(スナゴ=砂)の上に跡があった。耕した田の形のようだった」
この年、太歲乙巳でした。
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解説

日本は神様が山や海の向こうにいて、その神が里にやってきて、畑に宿り、霊力を注いで作物が実ると考えていました。

これは私の推測です。
天皇は神ではありません。天皇は神を宿らせる依り代だった。天皇が「行く」ことを「幸」と書くのも、「山の幸」をもたらす神を身におろすからだと思います。天皇が来れば、幸がもたらされるってことです。その天皇が住む、都というのは、作物が実る霊力が強く持っていると考えていたんじゃないかと思うのですね。

だから鼠が察知して難波に移動するわけです。何せこれからは難波に天皇がいて、天皇がいるってことは作物が実るわけですからね。難波に行けば、食うに困らない。越国は現在の北陸・上越です。この辺りでは神は海の向こうから来ると思っていた。枯れ木に乗って移動し、浜に降り立ち、そこから難波へと移動する。その降り立った場所に「田」のような跡があったというのは、その渡ってきた神が「穀物霊」であることの証明なんでしょう。でも、越国から難波に行く道って東にあったんでしょうか。うーん、なんとも。
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原文

(即位1年)冬十二月乙未朔癸卯、天皇遷都難波長柄豊碕。老人等相謂之曰。自春至夏、鼠向難波、遷都之兆也。戊午、越国言。海畔、枯査向東移去、沙上有跡如耕田狀。是年也、太歲乙巳。
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