孝徳天皇(二十一)菅子が言うには…黄帝・堯・舜・禹・湯・武王

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孝徳天皇(二十一)菅子が言うには…黄帝・堯・舜・禹・湯・武王

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原文

管子曰、黃帝立明堂之議者上觀於賢也、堯有衢室之問者下聽於民也、舜有告善之旌而主不蔽也、禹立建鼓於朝而備訊望也、湯有總術之廷以觀民非也、武王有靈臺之囿而賢者進也。此故、聖帝明王、所以有而勿失、得而勿亡也。所以、懸鍾設匱拜收表人、使憂諫人納表于匱、詔收表人毎旦奏請。朕得奏請、仍示群卿便使勘當。庶無留滯。如群卿等或懈怠不懃・或阿黨比周、朕復不肯聽諫、憂訴之人當可撞鍾。詔已如此。

現代語訳

菅子が言うには、黄帝(コウテイ=中国の伝説の帝)は明堂(メイドウ=皇帝が政治を行うところ=朝廷)で会議を立てれば、上の賢者を見る。堯(ギョウ=中国の伝説の帝)が衢室(クシツ=政治会議を聞く帝の部屋)で質問があれば、下の民からも聞いた。舜(シュン=中国の伝説の帝)は善(=改善点を進言すること)を告げる旗(旗の下で改善点を政府に進言するという制度があった)があり、主(=舜のこと)は隠れない。禹(ウ=中国の伝説の帝)は建鼓(コンコ=太鼓)を朝廷に立てて、民の訴えや要望に備えていました。湯(トウ=中国の伝説の帝)は総術(ソウズイ=道がたくさん交差する場所)の庭があって、そこで民の批判を見ました。武王(ブオウ=中国の伝説の帝)は霊台(レイダイ=陰陽天文の変…星の動きから政変や天変地異を予測する学問があり、それを観測するための台が霊台)の囿(ユウ=園=エリアのこと)が有って、賢者が進言しました。こういった政治があったから、聖帝明王(聖なる帝や、賢明な王たち)は社会を保ち、秩序を失うこともなく、滅亡することがなかったのは、そのためなのだと言います。よって鐘を掛け、匱(ヒツ)を設置して、表(フミ=訴状)を収め取った人を呼び寄せます。訴え、諌める人が表を匱に入れる。表を収め取った人に詔(ミコトノリ)して、朝ごとに申し上げ請願する。朕(ワレ=天皇)は請願を受けて、群卿(マヘツキミ=臣下)たちに示して、すぐに検討し判断する。滞ることが無いように思うのだが、もしも群卿たちが、怠って、丁寧に処理しなかったり、偏った判断をしたなら、朕(チン)も諌め訴える声を聞かなかった場合は、憂い訴える人は、鐘をつくべきである、といった。すでに詔したとおりのことです。
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解説

すでに詔した
大化の改新の詔でここで書かれたことは、ほぼ述べられています。これをわざわざ二度も書くのは、これらの言葉を実際に孝徳天皇が「述べた」からじゃないかと思うのですが。

菅子が言うには…
これは菅子・桓公問篇と同文であり、孫引きかも知れないけども、ともかく引用。
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