孝徳天皇(二十二)雑役の中止・諌めるものの名前

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孝徳天皇(二十二)雑役の中止・諌めるものの名前

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現代語訳

民の明直心(オサオサシキココロ)が国土(クニ=国)の懐(オモウ=中)の風(ノリ=風習)を保ち、切実に政府を諌める陳情書を、設けた匱(ヒツ)に収める。それで今、集まっている黎民(オオミタカラ=国民・百姓)に示します。その表(フミ)というものは、国の政治に奉じるので、京(ミヤコ)に居る民を官(ツカサ=役人)にして、雑役に使うと云々。
朕(ワレ=天皇の一人称)もこれは心を痛めるところです。民がどうしてここに居ると思うのだろうか。しかし、遷都してまだ長く経っていない。帰ったばかりの旅人に似ている。だから、使役しないわけにいかず、無理に使役することになる。このことを考えると、以前のように安眠できない。朕はこの表(フミ)を見て、嘆いて、休息できない。諌める言葉に従い、各所の雑役を中止しよう。以前に詔(ミコトノリ)していった、諌めるものは名を書き記せと言った。しかし、詔に従わなかった。今、自ら利益を求めるのではなく、国を助けようとすればだろうか。名前を書いても書かないでも、いいので、朕が気がつかない忘れてしまうようなことを諌めて欲しい」
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解説

訳していて、私もよく分からないので、もうちょっと砕いて書きます。

大化の改新で日本は「鐘匱」という制度を設けました。匱(ヒツ)に訴状文を入れて、それを朝廷で天皇と臣下が検討します。その検討が滞ったり、不満がある場合は、鐘を鳴らしてさらに訴えるということです。

さて、この記述の時は難波遷都の途中で、都はバタバタしていました。遷都するってことは、遷都の工事をするために、「雑役」とかなんやかんやで民が集まっていたわけです。その落ち着かない人たちに天皇は「みんな大変だね」「朕も心を痛めているんだけど、遷都だからさー」と思っていたのですが、訴状に「雑役がキツイ」ってあったんでしょうね。それで雑役はちょっと止めようと。

あと、政府に進言することができて、その進言には「名前」を書くように指導していた。これは不満があったら殺すぞ、という意思があったのではなくて、「そんな有能なやつを取り立てたい」という計画だったのだと思います。ところが、「政府の批判」を名前つきで書けるわけがない。そこで名前もなく進言というか批判をした。

それを天皇が「おい、名前を書けよ!」と怒ったのではなく、名前が無くてもいいから、諌める訴状を出してくれよ、というところまでがこのページです。
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原文

既而有民明直心・懷国土之風・切諫陳䟽、納於設匱。故、今顯示集在黎民。其表稱、緣奉国政到於京民、官留使於雜役、云々。朕猶以之傷惻、民豈復思至此。然遷都未久、還似于賓、由是、不得不使而强役之。毎念於斯、未嘗安寢。朕觀此表、嘉歎難休。故隨所諫之言、罷處々之雜役。昔詔曰、諫者題名。而不隨詔。今者、自非求利而將助国。不言題不、諫朕癈忘。
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