孝徳天皇(二十五)国司は教えた通りにやっているか?

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孝徳天皇(二十五)国司は教えた通りにやっているか?

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原文

辛巳、詔東国朝集使等曰。集侍群卿大夫及国造伴造幷諸百姓等、咸可聽之。以去年八月、朕親誨曰。莫因官勢取公私物、可喫部內之食、可騎部內之馬。若違所誨、次官以上降其爵位、主典以下決其笞杖。入己物者、倍而徵之。詔既若斯。今問朝集使及諸国造等、国司至任、奉所誨不。

現代語訳

(即位2年)3月19日。東国の朝廷に参上して集まった使者たちに詔(ミコトノリ)して言いました。
「集まった群卿大夫(マエツキミタチ=臣下たち)と国造・伴造・と諸々の百姓たちは皆、聞きなさい。去年の8月に、朕(ワレ)が自ら教えて言った。
『官(ツカサ=役人)の威勢で、公的なものや私物を奪ってはいけない。部内(クニノウチ)の食べ物を食べなさい。部内の馬に騎乗しなさい。もし教えたことと違っていれば、次官(スケ)以上ならば、その爵位を降下し、主典(フビト)以下ならば、笞杖(ホソキスハエフトキスハエ=竹の鞭で打つ刑罰)に処すること。(他人のものを盗んで)自分の懐に入れたものはその倍を徴収しなさい』と言った。
詔(ミコトノリ)はすでに言った通りだ。今、朝廷に参上し集まっている使者と諸々の国造たちに問う。国司(クニノミコトモチ)は任について、教えた通りにやっているだろうか、と。
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解説

ここのページの記述とほぼ同じものが以下にすでにありました。

多少内容や書き方は違っても、ほぼ同じです。どうしてそんなことを二度書くのかというと、次のページから「実際に教えに従わなかった人」の例をあげるからです。

それでも、二度書く必要は無いと思うのですよね。だからこれらの言葉は実際に天皇が述べた言葉だったんじゃ無いかと思うのです。
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