孝徳天皇(二十六)穂積臣咋と巨勢徳禰臣の罪

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孝徳天皇(二十六)穂積臣咋と巨勢徳禰臣の罪

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原文

於是、朝集使等具陳其狀。穗積臣咋所犯者、於百姓中毎戸求索、仍悔還物、而不盡與。其介富制臣闕名・巨勢臣紫檀、二人之過者、不正其上、云々。凡以下官人、咸有過也。其巨勢德禰臣所犯者、於百姓中毎戸求索、仍悔還物、而不盡與、復取田部之馬。其介朴井連・押坂連並闕名二人者、不正其上所失、而翻共求己利、復取国造之馬。臺直須彌、初雖諫上、而遂倶濁。凡以下官人、咸有過也。

現代語訳

朝廷に集まった使者たちが、詳細のその状況を陳情したところ、穂積臣咋(ホズミノオミクイ)が犯した罪は、百姓の中に戸(ヘ=1家庭)ごとに金品を求めた。その罪を咎められて、物を返した。しかし、すべては返さなかった。
介(スケ=次官=役人の階級=補佐)の富制臣(フセノオミ)…
名前は漏れていてわからない。

と、巨勢臣紫檀(コセノオミシタノ)の二人の過(トガ=罪)は、その上(=上司のことで、ここでは穂積臣咋のこと)を正ささなかったことです。云々。それ以下の地位の官人(ツカサヒト=役人)にも全員に過(トガ)がある。

巨勢徳禰臣(コセノトコネノオミ)が犯した罪は、百姓から、戸ごとに金品を求めたことです。咎められて、物を返しましたが、すべては返しませんでした。また、田部(田を耕す部民)から馬を取りました。その介(スケ=補佐)の朴井連(エノイノムラジ)・押坂連(オシサカノムラジ)…
二人とも、名が漏れていて分からない。

二人は上(=上司=ここでは巨勢徳禰臣のこと)の失策を正さなかった。それどころか、一緒になって自分の利益を求めました。また国造の馬を取りました。台直須弥(ウテナノアタイスミ)は初めは上司を諌めたのですが、ついに共に罪に穢れました。すべてのそれ以下の官人(=役人)には過(トガ=罪)があります。
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解説

日本人の価値観の転換
日本人には「罪」は穢れているという感覚があり、この穢れは拭えないものです。また法律は無くても、神社の祝詞に「罪」が羅列してあるのですから、やってはいけないことがあり、それが「文書」にはしていなくても共有していたわけです。

それが孝徳天皇の大化の改新の時に明確に「やっちゃダメ」なことが発布された。その中に、「民のものを、権力を振りかざして奪っちゃダメよ」というのがありました。その罪を犯したものがここに羅列されています。

ここに大きな政治制度の転換があった。と、思います。

でも、神社とはいえ「禁止事項」はすでにあった。細かい内容が指定されたことは違うけど、仕組み自体はあんまり変わらない、ような気がしますよね。

日本は和を重んじる民族です。和というのは「同じ」であることが求められます。周囲がやっていたら、同じようにするのが「和」です。仮に、その地域で、民から金品を巻き上げるのが日常化していたら、誰もそれを批判することは出来ません。それが「和」の性質の一面です。
現在の学校の「いじめ」にも同様の性質があります。

ところが孝徳天皇はこれを「ダメ」とした。上司の不正を黙って見ていたら、部下も罪。というのを決めた。まー、日本人にはなかなか難しい問題です。この「正しい」を第一にするのは、やはり儒教的な考えです。
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