孝徳天皇(四十一)数えた田を民に与えなさい

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孝徳天皇(四十一)数えた田を民に与えなさい

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原文

今發遣国司幷彼国造、可以奉聞。去年付於朝集之政者、隨前處分。以收數田、均給於民、勿生彼我。凡給田者、其百姓家、近接於田、必先於近。如此奉宣。凡調賦者、可收男身之調。凡仕丁者、毎五十戸一人。宜觀国々壃堺、或書或圖、持來奉示。国懸之名、來時將定。国々可築堤地、可穿溝所、可墾田間、均給使造。當聞解此所宣。

現代語訳

今、派遣を出発させ、国司とその国造はこれを聞き、受け賜りなさい。昨年、朝廷に集まって行った政治は、前の処分(コトワリ)のままにする。収めて数を数えた田を、等しく民に与えなさい。あっちとこっちで差が無いように等しくするように。すべての田を与えるときは、その百姓の家の近くの田に接することができるなら、必ず近いものを優先しなさい。このように述べたことをしかと受け賜りなさい。すべての調賦(ミツキ=税)は男の身の税として納めなさい。すべての仕丁(ツカエノヨホロ)は50戸ごとに1人。国々の境を見て、書に記すか、図を書くかして、持って来て示しなさい。国県の名前は来た時に定めよう。国々の堤防を築くべき所や、溝(ウナテ)を掘るべき所や、田を開墾するべき間(トコロ)は等しく、与えて作らせなさい。この述べたことを聞き、理解しなさい」
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解説

日本の民は公地公民によって天皇のものとなり、土地も天皇のものとなり、民にはその土地が支給されることになりました。その土地をどう分配するかが、ここで述べられています。家の近くの田んぼのようがいいですよね。こう考えると戦後の農地改革に近いですよね。
仕丁
仕丁に関しては以下の大化の改新の詔の部分で同じことが書かれています。

ところでここで述べられていることは、すでに述べたことの追記か、同じことをもう一度述べているだけです。この日本書紀というものが歴史を書く目的ならば、同じことを書いたり、追記するというのは二度手間です。まして「紙」が貴重品な時代。これまでのページに併記すれば十分じゃないかと思います。それをこうやって年次を変えて記述するということは、それなりに意味があったと考えるべきでしょう。

私はこれらの言葉は実際に天皇が述べたコトだと思います。言葉を重んじる日本ではこれらを書かざるを得なかった。そして述べたコトを記述し残すというコトをやっていた、ってことです。
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