孝徳天皇(四十三)朝廷で射(イクイ)を

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孝徳天皇(四十三)朝廷で射(イクイ)を

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原文

三年春正月戊子朔壬寅、射於朝庭。是日、高麗・新羅、並遣使貢獻調賦。

現代語訳

即位3年春1月15日。朝廷で射(イクイ)をしました。
この日に高麗・新羅は一緒に使者を派遣して調賦(ミツキ)を献上しました。

解説

射(イクイ)
以下に同じか似ているか、ともかく「射つ」儀式が見られます。これをお正月に行うようになったのではないか?と言われています。
清寧天皇(八)河内坂門原陵に葬る
9月1日。天皇は射殿に居ました。百寮(ツカサツカサ=官僚・役人)と海表(ワタノホカ=海外)の使者に詔(ミコトノリ)して射させました。物を与えました。それぞれの品がありました。

ところでそれより遡って仁徳天皇の時代にも朝鮮半島の国家と「射つ」ことをしています。

文章が長いので引用はやめますが、高麗の鉄の盾を弓で射抜いた盾人宿禰の話ですが、「射」という儀式は、これが元になっているのかもしれませんね。
●射つという行動が「魔を払う」性質があるのでしょう。
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