孝徳天皇(四十四)みだりに前々處々に名前をつけた

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孝徳天皇(四十四)みだりに前々處々に名前をつけた

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現代語訳

(即位3年)夏4月26日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「惟神(カムナガラ)…
惟神は神道(カミノミチ)に従うことを言います。また自然に神道があることを言います。

は、我が子に天下を治めさせようとした故事がある。それで天地が生まれた初めから、君臨している国なのです。始治国皇祖(ハツクニシラシシスメミオヤ=神武天皇崇神天皇)の時代は天下は大同(=オナジ=君主と臣下の区別のない混沌とした状態)で、かつては彼も此れも違いが無かった(自分と他人に違いが無かった)。すでにこの頃には、神の名や天皇の名から始まり、あるいは別れて臣・連の氏となりました。あるいは別れて造(ミヤツコ)たちの色(シナ)となりました。それで、率土(クニノウチ=国内)の民の心は固く、彼此(=自分と他人)の違いを捉えて、深く、我汝(アレイマシ)が生じて、それぞれが名を守るようになった。また拙い臣・連・伴造・国造、その姓(ウジ)となる神の名・王の名を自分の心のよる所に従って…勝手に、みだりに前々處々(ヒトヒトトコロトコロ=あちこち)に名をつけた。
前前は人々と言います。

これでは神の名・王の名を(つけた民が)が、他人の売買のやり取りなどで、奴隷になってしまって、清い名を穢すことになる。民の心が整わず、国の政治が難しくなる。それで今は、天にいる神の望むままに、治めて平定する運命になっているので、これらを悟らせて、国を治め、民を収め、これを先にしようか、これを後にしようかと、今日明日に次々に続けて詔しよう。もとより天皇の聖化(ミオモブケ=周囲を正しい道に導くこと)によって、旧俗(モトノシワザ=古い風俗)を習う民、まだ詔をしていないが、待っていられないだろう。皇子・群臣から始まり、諸々の百姓に至るまで、庸調(チカラツキ=税)を禄として与えよう」
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解説

すでに明らかになっていることを再度述べています。私はこれらの言葉は実際に天皇が発言したものを記録したんじゃないかと思っています。
日本人と家の名前
日本人は和の民族で、「みんなで仲良く」というルールがあります。そのみんなというのはグループの中に属しているって意味です。となると、グループが細分化すると、このグループ同士が揉めるわけです。

だから名前を分化するのは良くない、ってことになります。日本人にとって大事なのはグループであり、グループの名前です。よく「家の名前を継ぐ」と言いますよね。つまり「血」じゃないんです。「名前」なんです。名前を分け、増えていくのは避けないといけない、そう考えたんでしょう。
●古代では家の中から代表者が役所に勤めました。家の名前が増えると、無駄に代表者が増えます。それを避けたのかも。
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原文

夏四月丁巳朔壬午、詔曰。惟神(惟神者、謂隨神道。)亦謂自有神道也、我子應治故寄。是以、與天地之初、君臨之國也。自始治國皇祖之時、天下大同、都無彼此者也。既而頃者、始於神名・天皇名々、或別爲臣連之氏、或別爲造等之色。由是、率土民心、固執彼此、深生我汝、各守名々。又拙弱臣連伴造國造、以彼爲姓神名王名、逐自心之所歸、妄付前々處々(前々、猶謂人々也。)。爰以神名王名、爲人賂物之故、入他奴婢穢汚淸名、遂卽民心不整、國政難治。是故、今者、隨在天神屬可治平之運、使悟斯等而將治國治民。是先是後、今日明日、次而續詔。然素頼天皇聖化而習舊俗之民、未詔之間、必當難待。故、始於皇子群臣及諸百姓、將賜庸調。
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