孝徳天皇(五十九)丈六の繡像と侠侍と八部・千仏の像

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孝徳天皇(五十九)丈六の繡像と侠侍と八部・千仏の像

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原文

夏四月、新羅遣使貢調。或本云、是天皇世、高麗・百濟・新羅三国、毎年遣使貢獻也。

冬十月、爲入宮地所壤丘墓及被遷人者、賜物各有差。卽遣將作大匠荒田井直比羅夫、立宮堺標。是月、始造丈六繡像・侠侍・八部等卌六像。是歲、漢山口直大口、奉詔、刻千佛像。遣倭漢直縣・白髮部連鐙・難波吉士胡床、於安藝国、使造百濟舶二隻。

現代語訳

(即位6年)夏4月。新羅が使者を派遣して貢物を献上しました。
ある本によると、この天皇の世に高麗・百済・新羅の三つの国は年ごとに使者を派遣して貢物を献上したといいます。


冬10月、宮の土地を入手した結果、丘墓(ハカ)を壊された人や、墓を移された人には、品物を与えました。それぞれに品がありました。すぐに将作大匠(タクミノツカサ)の荒田井直比羅夫(アラタイノアタイヒラブ)を派遣して、宮の堺標(サカイメノシメ=境界の標識)を立てました。

この月に初めて丈六(ジョウロク=仏像の大きさの基準)の繡像(ヌイモノノホトケ=刺繍の仏)・侠侍(ケウジ=脇侍菩薩)・八部(=天竜八部)などの36像を作りました。

この年、漢山口直大口(アヤノヤマグチノアタイオオクチ)は詔(ミコトノリ)を受けて、千仏の像を刻みました。倭漢直県(ヤマトノアヤノアタイアガタ)・白髮部連鐙(シラカベノムラジアブミ)・難波吉士胡床(ナニワノキシアグラ)を安芸国に派遣して百済舶(クダラノツム)を二隻作らせました。
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解説

仏教へ傾倒するか?
仏教は輪廻が信仰のもともとなのです。ということは「墓」というのは仏教にはない概念のはずです。しかし日本は祖霊信仰を行ってきましたから、仏教と祖霊信仰が並存していきます。
実に日本らしいのですよ。
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