孝徳天皇(六十一)知万沙飡は唐の国の服を着て

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孝徳天皇(六十一)知万沙飡は唐の国の服を着て

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現代語訳

(即位7年白雉2年)この年、新羅が貢調(ミツキ)を献上するための使者である知万沙飡(チマササン)たちは、唐(モロコシ)の国の服を着て、筑紫に泊まりました。朝廷は、恣(ホシイママ=自分勝手に)に俗(シワザ)を移したことを憎み、責めて追い返しました。その時、巨勢大臣(コセノオオオミ)は請願して申し上げました。
「今、新羅を征伐しないでいると、のちに必ず後悔することになります。征伐する状況は、自力でやるべきではありません。難波津から筑紫海の裏に至るまで、相次いで船を浮かせ満たして、新羅を呼び寄せて、その罪を問えば、簡単にできるでしょう」
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解説

唐の国の服を着て
新羅が自国の服を中国の唐の風習に倣って服を変えた。これは新羅が中国の属国になったという意味になります。つまり、新羅は日本に「中国の属国になった」と示しつつ、やって来たわけです。これで怒らないわけがない。
それで筑紫で新羅は追い返された。当然ですよね。
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原文

是歲、新羅貢調使知萬沙飡等、着唐国服、泊于筑紫。朝庭、惡恣移俗、訶嘖追還。于時、巨勢大臣奏請之曰。方今不伐新羅、於後必當有悔。其伐之狀、不須舉力。自難波津至于筑紫海裏、相接浮盈艫舳、徵召新羅問其罪者、可易得焉。
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