孝徳天皇(六十五)旻法師の命の終わりと仏像

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孝徳天皇(六十五)旻法師の命の終わりと仏像

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原文

六月、百濟・新羅遣使貢調獻物。修治處々大道。天皇、聞旻法師命終而遣使弔、幷多送贈。皇祖母尊及皇太子等、皆遺使弔旻法師喪。遂爲法師、命畫工狛堅部子麻呂・鯽魚戸直等多造佛菩薩像、安置於川原寺或本云、在山田寺。

現代語訳

(即位9年)6月。百済・新羅が使者を派遣して貢調(ミツキ=税)と品物を献上しました。あちこちに大道(オオジ)を作りました。天皇は旻法師(ミンホウシ)の命が終わったと聞いて、使者を派遣して、弔いをさせました。あわせて、多くの贈り物を送りました。皇祖母尊(スメミオヤノミコト=皇極天皇=ここでは皇極上皇)と皇太子たちは、皆、使者を派遣して旻法師の喪(モ)を弔いました。法師のために画工(エカキ)の狛堅部子麻呂(コマノタテベノコマロ)・鯽魚戸直(フナトノアタイ)たちに命じて、多くの仏菩薩の像を作りました。川原寺(カワラデラ)に安置しました。
ある本によると、山田寺にあるといいます。
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解説

旻法師が死んだ記事は即位4年5月にありました。
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