斉明天皇(三)蝦夷と隼人の内属

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斉明天皇(三)蝦夷と隼人の内属

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原文

是歲、高麗・百濟・新羅並遣使進調(百濟大使西部達率余宜受・副使東部恩率調信仁、凡一百餘人)。蝦夷・隼人率衆內屬、詣闕朝獻。新羅、別以及飡彌武爲質、以十二人爲才伎者。彌武、遇疾而死。是年也、太歲乙卯。

現代語訳

(即位1年)この年、高麗・百済・新羅は一緒に使者を派遣して調(ミツキ)を献上しました。
百済の大使は西部の達率余宜受(ダソチヨゲズ)・副使は東部の恩率調信仁(オンソチジョウシンニ)。全員で100人余り。

蝦夷・隼人は衆(トモガラ)を率いて、内属(マウキシタガウ=外国が属国になること)しました。闕(ミカド)に詣でて、朝貢を献上しました。新羅は代わりに及飡弥武(キュウサンミム)を人質としました。12人を才伎者(テヒト=技術者)としました。弥武は病気になって死にました。この年、太歲乙卯でした。
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解説

日本と中国・朝鮮との違い
蝦夷と隼人が日本に帰属した、とあるのですが、蝦夷はこれまでに散々と宴会をしていますし、無関係とは思えない。対立している記述もありますが、交流もあったようです。隼人に関しても、遣唐使が鹿児島経由で中国に行っている以上、「帰属」していなかったとしても敵対していたとは思えません。

私はそもそも「属する」という意味が、古代の日本人と、儒教の世界観とで、ニュアンスが違うんじゃないかと思うのです。

儒教は上下関係が大事です。よって帰属するということは、屈服し敗北し、奴隷となって搾取されるところまで含まれますが、日本の「帰属」というのは「仲間」という程度の意味だったのでしょう。
これは戦時中に日本が朝鮮半島を併合した後、投資をしてインフラ整備をしたことにも表れていると思います。しかし、朝鮮の儒教的世界観では、併合・帰属は、屈服し搾取されるという意味なので、「投資があった」などとは理解できない、そういう感覚の違いがあるのだと思います。
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