天智天皇(四)狹井連檳榔と秦造田来津を豊璋救援に派遣

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天智天皇(四)狹井連檳榔と秦造田来津を豊璋救援に派遣

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現代語訳

(斉明天皇即位7年)9月に皇太子は長津宮(ナガツノミヤ)に居ました。織冠(オリモノカウブリ)を百済の王子の豊璋に授けました。また、多臣蔣敷(オオノオミコモシキ)の妹を妻としました。すぐに大山下(ダイセンゲ)の狹井連檳榔(サイノムラジアジマサ)・小山下(ダイセンゲ)の秦造田来津(ハダノミヤツコタクツ)を派遣して、軍5000人余りを率いて、本郷(モトツクニ=豊璋の本国=百済)を守るために送りました。それで豊璋が国に入る時に福信(フクシン=百済の将軍の鬼室福信)が迎えに来て、拝んで、国の政治を(豊璋に)たてまつり、全てを委ねました。
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解説

百済はすでに唐と新羅によって実質滅ぼされたのですが、まだレジスタンスがいて抵抗していました。その百済を日本は支援する。日本にとって百済にはそれだけの価値があったのか?

よく百済は日本に中国の文化を伝えるために必要だった。だから大事だったというのですが、ならば唐と敵対するのはちょっとおかしい。筋が通らない。

私は天智天皇は儒教的な国家運営を目指していたのだと思います。儒教の考えでは百済は日本の属国。属国が責められたならば、助けないといけないのが儒教の「道徳」です。儒教的国家運営を目指すならば、助けないと辻褄が合わない。だから救援したのでしょう。

百済は日本にとって「中国の文化を輸入するには大事」だった。だから属国とした。そうして中国の文化である儒教を吸収することで、百済を救援しないといけないようになってしまった。皮肉なことです。

ここで大事なのは、「属国を救援するという道徳」が「文化の吸収と貿易による実利」に勝ってしまい、その結果、唐と戦争し、日本は混乱に陥ったことです。「道徳」が「実利」に勝つ。これはまさに儒教的なロジックです。現在の韓国が「慰安婦問題という道徳」が「日本との貿易の実利」に勝ってしまうのと同じです。
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原文

九月、皇太子、御長津宮、以織冠授於百濟王子豊璋、復以多臣蔣敷之妹妻之焉。乃遣大山下狹井連檳榔・小山下秦造田來津、率軍五千餘衞送於本鄕。於是、豊璋入国之時、福信迎來稽首奉国朝政、皆悉委焉。
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