天智天皇(七)百済の救援・鼠が馬の尾の上で子を生む

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天智天皇(七)百済の救援・鼠が馬の尾の上で子を生む

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原文

元年春正月辛卯朔丁巳、賜百濟佐平鬼室福信矢十萬隻・絲五百斤・綿一千斤・布一千端・韋一千張・稻種三千斛。三月庚寅朔癸巳、賜百濟王布三百端。是月、唐人・新羅人伐高麗、高麗乞救国家、仍遣軍將據䟽留城。由是、唐人不得略其南堺・新羅不獲輸其西壘。夏四月鼠産於馬尾、釋道顯占曰、北国之人將附南国、蓋高麗破而屬日本乎。

現代語訳

即位1年春1月27日。百済の佐平(サヘイ=百済の官位の名前)の鬼室福信(キシツフクシン)に矢を十万隻・糸を五百斤・綿を一千斤・布を一千端・韋(オシカワ=なめし皮)を一千張・稲種(タナシネ)を三千斛を与えました。
3月4日。百済の王に布を三百端を与えました。
この月、唐人と新羅人が高麗を征伐しました。高麗は救援を国家(ミカド=大和朝廷)に乞い願いいました。それで将軍を派遣して、䟽留城(ソルサシ=百済の遺臣の本拠地の都々岐留城)に寄りました。それで唐人はその南の国境を略奪することができず、新羅はその西の城塞を落とすことが出来ませんでした。
夏4月に鼠(ネズミ)が馬の尾で子を産みました。釋(ホウシ)の道顯(ドウケン)は占いをして言いました。
「北国の人は南の国に服属するという意味だ。高麗が敗れて日本に服属するのではないでしょうか」
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解説

日本がかなり百済を支援していたと分かります。天智天皇と孝徳天皇は儒教を信奉していましたから、儒教のルールに則って朝貢をした百済と高麗を支援したのだと思います。まぁ、それが大失敗なんですけどね。
ネズミが馬の尾の上で子を生む
ちょっとよく分からないのですが、奇妙な事件があったのでしょう。過去の記事を読んでもネズミは何かしらの兆候に強く関わります。いずれまとめましょう。

十二支はネズミから始まり、馬(午)が7番目。方角にすると真北と真南の関係になります。ネズミが馬の上で子を産むということを「北が南に敗北する」という意味に捉えたのはどうもこじ付けに見えますが、まぁ、そういう解釈でしょう。
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