天智天皇(十七)郭務悰を追い返す・高麗の蓋金の遺言

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天智天皇(十七)郭務悰を追い返す・高麗の蓋金の遺言

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現代語訳

(即位3年)冬10月1日。郭務悰(カクムソウ)たちを出発させる勅(ミコトノリ)を宣べました。この日に中臣内臣(ナカトミノウチツマヘツキミ=藤原鎌足のこと)は沙門(ホウシ=法師)の智祥(チジョウ)を派遣して、品物を郭務悰(カクムソウ)に与えました。
10月4日。郭務悰たちに宴会をしました。
この月に高麗の大臣蓋金(オオマヘツキミカウコム)はその国で亡くなりました。子供達に遺言として言いました。
「お前ら兄弟は、魚と水のように和して仲良くして、爵位(カウブリクライ)を争うことがないように。もし、そのようにならなかったら、必ず隣に笑われるだろうよ」
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解説

郭務悰は追い返されたか?
日本は郭務悰が来ても「帰るように勅を出した」とあるので、これを「追い返した」と考えるのが、定説になっています。しかし、まぁ、品物を渡したり、宴会をすることや、唐がわざわざ「使者を派遣」するあたり、よく言われるような敵対関係であったのかは、なんか微妙な感じがしますね。
蓋金の遺言
蓋金には子供がいました。長男が「男生」、次男が「男建」、三男が「男産」です。この兄弟のうち、長男が、次男・三男と仲が悪く、この遺言の甲斐なく、仲たがいしている中で、唐がちょっかいを出して、668年に高句麗(高麗)は滅亡します。
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原文

冬十月乙亥朔、宣發遣郭務悰等勅。是日、中臣內臣、遣沙門智祥賜物於郭務悰。戊寅、饗賜郭務悰等。是月、高麗大臣蓋金、終於其國、遣言於兒等曰「汝等兄弟、和如魚水勿爭爵位。若不如是必爲隣咲。」
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