天智天皇(二十二)斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵に合葬

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天智天皇(二十二)斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵に合葬

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原文

六年春二月壬辰朔戊午、合葬天豊財重日足姫天皇與間人皇女於小市岡上陵、是日以皇孫大田皇女葬於陵前之墓。高麗・百濟・新羅、皆奉哀於御路。皇太子謂群臣曰、我奉皇太后天皇之所勅、憂恤萬民之故、不起石槨之役。所冀、永代以爲鏡誡焉。

現代語訳

即位6年春2月27日。天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト=斉明天皇=皇極天皇=中大兄皇子の母)と間人皇女(ハシヒトノヒメミコ=孝徳天皇の妃=中大兄皇子の妹=斉明天皇の娘)とを小市岡上陵(オチノオカノウエノミサザキ)に合葬しました。この日に皇孫の大田皇女(オオタノヒメミコ=天智天皇の娘で、大海人皇子…のちの天武天皇の妃)を陵(ミサザキ)の前の墓に葬(カク)しました。高麗・百済・新羅は皆、道に悲しみを奉りました。皇太子は群臣(マヘツキミタチ)に語って言いました。
「我、皇太后天皇(=斉明天皇のこと)が勅(ミコトノリ)したことを受け賜わり、万民を憂い愛するがゆえに、石槨(イワキ=昔ながらの横穴式石室の墳墓)の役(エダチ=民を使役すること)を起こさなかった。願わくば、永代に渡って、鏡誡(アキラカナルイマシメ)としなさい」
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解説

まだ実際には天智天皇は皇太子のままで天皇のような実務をしています。ここに来て、先代の斉明天皇の葬式をしました。斉明天皇は百済の救援の最中に死んでいまして、その後、白村江の戦いの敗戦があって現在に至っているので、非常にパニック状態です。

世間からすれば、斉明天皇と天智天皇は「パニックの元凶」です。妙な雰囲気だったんじゃないかと思うのです。斉明天皇の墓を作るのに、大袈裟なものではなく、簡単に済ますのは、まーしょうがないんじゃないかと思うんですよね。ここでは「民の負担を考えて!」と言ってますけど、そんな状態じゃなかったのかもしれないです。
大田皇女
大田皇女は天智天皇の娘で、天武天皇が即位する前に亡くなった妃です。
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